佐東銀山城から有料道路を利用して車で30分くらいで、臼山八幡神社下の空スペース(34.415150、132.380693)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、 源平合戦の時は源氏方の佐々木国正の居城であったようです。
1508年(永正5年)大内義興に従い上洛していた厳島神主藤原興親が亡くなると、厳島神領を大内氏の直轄領としました。
1518年(永正15年)大内氏の重臣であった杉甲斐守が水晶城の城番となります。
しかし、1523年(大永3年)厳島神主家の一族である友田興藤が、神主家の家督を相続できなかったことに不満を持ち、謀反を起こし水晶城を攻撃、城を捨てて逃走した杉甲斐守を討ち取ります。
乱の鎮圧後、水晶城には改めて麻生鎮里(麻生家宣の子とされる)が城番として入城し、その周辺の支配にあたりました。
しかし、1554年(天文23年)毛利元就と陶晴賢が敵対すると元就は佐伯郡の諸城を攻略した。 この時の城主麻生鎮里は元就に降伏しました。
毛利氏の支配が確定的となると、この水晶城よりも海に面した桜尾城が重要視されるようになり、また、城の規模が巨大過ぎて、多くの人員が確保できないと守れないというマイナス面も考慮され、この水晶城も廃城となったようです。
臼山八幡神社本殿階段下に登城口があります。
雨が降っているので山登りはせず、案内標識を確認して撤退です。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=仁保城に向かいました。
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