猿掛城から車で25分くらいで、ぴーかるさん投稿の退避場所(34.661175、132.738506)に着き路駐しました。ぴーかるさん、有難うございました。
そこから、長見山城跡登山口(34.660487、132.736594)に向かいました。
築城年代は定かではないようですが、南北朝時代に渡辺氏によって築かれたと云われています。
渡辺氏は摂津国西成郡渡辺発祥の嵯峨源氏で、1336年(建武3年・延元元年)毛利時親が安芸国吉田に下向したときに随行し、代々毛利氏の重臣として仕えました。
1524年(大永4年)渡辺太郎左衛門勝は、日下津城主坂広秀らと尼子の重臣亀井秀綱と通じて、毛利元就の異母弟である相合元綱を擁立しようと画策したが、陰謀は露呈し一族は誅殺されました。
このとき、勝の嫡男虎市は乳母に連れられ備後国甲山城の山内首藤直通を頼って難を逃れました。
虎市は後に渡辺太郎左衛門通と名乗り毛利家臣に復帰しました。1543年(天文12年)毛利元就は大内義隆に従って尼子氏の居城である出雲国月山富田城を攻めたが総崩れとなります。
毛利元就も安芸へ逃れようとしましたが尼子の追撃が激しく危うくなります。このとき渡辺通は毛利元就の甲冑を着用して身代わりとなり、尼子の追撃を引き受け討死しました。
渡辺通の功によって渡辺氏は重用されるようになり、通の嫡男渡辺石見守長は1550年(天文19年)に下麻原(下小原)300貫と代官職に任ぜられたそうです。
長見山城跡登山口そに長見山城登口の石碑があります。
現在は主郭にお堂があり参道がつけられています。
現在城址には堀切や連続竪堀群などを確認でき、本丸跡に小さな石碑が建てられています
浅くなってはいますが、随所に竪堀があります。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=日下津城に向かいました。
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