楪城から車で40分弱で、庄原市東城まちなか駐車場入口(34.897003、133.271059)に着き駐車した後、登城口(34.898271、133.270532)に向かいました。
築城年代は定かではないようですが、大永・享禄年間(1521年〜1532年)頃に宮景友によって築かれたと云われています。
宮氏は備後比田山城を居城としていましたが、六代景友が五品嶽城を築いて居城を移しました。
七代高盛は勢力を伸ばし、1533年(天文2年)に大富山城を築いて本拠を移し、五品嶽城は家臣の渡辺七郎に守らせました。以後、五品嶽城を東城、大富山城を西城と呼んだそうです。
1591年(天正19年)宮高盛が毛利輝元の怒りをかって伯耆国日野(一説には出雲国塩谷)に移封となり、変わって石見国から佐波越後守広忠が入城しましたが、1600年(慶長5年)関ヶ原合戦後は毛利氏に従って萩へ移りました。
その後、芸備の太守となった福島正則は三家老の一人、長尾隼人正一勝を東城城主に任命し、備中・伯耆の国境守備に当らせました。
しかし、1619年(元和元年)福島正則が改易になると、長尾氏も津山に移り、城は廃城となりました。
登城口から階段を上がると世直神社があり、この神社南西の城山が城跡で、世直神社境内から遊歩道が山頂まで整備されています。
遊歩道を5分程登ると正面に石垣が見えますが、かなり藪に埋もれています。
その少し上がカヤの平で、北側に土塁が、西には石組みの井戸と説明板があります。この西上がケヤキが平で、西側の土塁が立派です。
ここから桝形に登ると太鼓の平で北側に土塁があり、その西に二郭、城山山頂の主郭(常の丸)と続きます。
二郭は北に土塁、中央付近に築山があり、主郭は南東に虎口があり、西よりに井戸、西端には周囲を石垣で固めた天守台があります。
東城駅の北東背後にある千手寺が、福島氏時代の城主である長尾氏の菩提寺のようですが、時間の都合で行っていません。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=高尾城に向かいました。
+ 続きを読む









