大富山城から車で35分くらいで、円通寺麓駐車場(34.851541、132.952707)に着きました。
そこから、円通寺(34.852338、132.954323)に徒歩向かいました。
1316年(正和5年)山内首藤家の惣領通資によって築かれたと云われています。 山内氏は相模国鎌倉郡山内荘発祥で源頼朝に従って功を挙げ備後国比婆郡地毘荘の地頭職を得ました。
1355年(文和4年)に通資は甲山城へ居城を移し、蔀山城は弟の五郎通俊に譲られました。通俊は多賀山氏を称し、多賀山内首藤家として代々蔀山城を居城とします。
山内氏は始め比叡尾山城の三吉氏、南天山城の和智氏、大富山城の久代宮氏らと所領の争奪を繰り広げていました。
周防国大内氏の勢力が備後に及ぶと大内氏に従ったが、出雲の尼子氏の勢力が増すと尼子氏に属するようになります。
1540年(天文9年)尼子氏が毛利元就の郡山城を攻めると、山内氏はこれに参戦しましたが尼子氏は敗れました。
1542年(天文11年)には逆に大内義隆が尼子氏の月山富田城を攻めましたが、このときは大内方として参戦するも、尼子方に寝返り大内氏の大敗となりました。
その後、1553年(天文22年)隆通の時、山内氏は毛利に臣従しました。
1600年(慶長5年)関ヶ原合戦の後は防長二カ国に減封となった毛利氏に従い長門へ移り廃城となりました。
江戸時代を通して、山内氏代々は長州藩の寄組(家老職)として藩政の中枢を担ったそうです。
甲山城は半独立丘陵に築かれており、南西山腹にある円通寺は山内家の菩提寺でした。
山腹にある円通寺まで車で登ることができるがやや道が狭いとのことで、自分は麓にある円通寺の駐車場に車を置いて徒歩で登りました。
普通車が円通寺の駐車場に停まっていたので車でも大丈夫そうです。
円通寺本堂左に城跡碑、説明板が建てられており、そこよりフエンス扉を開け閉めし登って行きます。
現地の縄張図を見ると櫓台のある1郭を円形に囲むように北側に2郭、南側に3郭があり、その他東と西、南に郭があるようです。
城域は思っていたより広く、時間の都合で1郭/2郭/3郭のみ見学しました。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=有福城に向かいました。
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