かしらざきじょう

頭崎城

広島県東広島市


旧国名 : 安芸

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①甲ノ丸虎口の石積1
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征18日目:頭崎城 (2026/05/28 訪問)

御薗宇城から車で5分くらいで、貞重集会所駐車場入口(34.473031、132.817220)に着きました。
そこから説明板前(34.473102、132.816620)を経由して、南側登城口付近(34.475567、132.819423)に徒歩で向かいました。

1523年(大永3年)大内方の鏡山城が落城しました。平賀氏当主平賀弘保は居城であった白山城の防備に不安を感じ、近隣の頭崎山に築城し、嫡男の平賀興貞を城主としました。
ところが、興貞は父の意向を無視して尼子氏に属し、大内方に味方した弘保と孫の隆宗・広相で争いを繰り広げることとなります。
1540年(天文9年)大内義隆の命を受けた毛利元就が頭崎城を攻略しました。敗れた興貞は出家して、平賀氏の家督は興貞の嫡子である隆宗が相続します。
平賀隆宗は大内方として活躍しますが、1549年(天文18年)に備後国神辺城を攻撃中に死去しました。
祖父の平賀弘保は家督を平賀広相に継がせようと考えましたが、大内義隆の策謀によって平賀氏の家督は小早川氏庶流の義隆の寵童が改名して相続し、平賀隆保と名乗りました。
1551年(天文20年)大寧寺の変で大内義隆が陶隆房(陶晴賢)によって殺害されると、陶方に味方していた毛利元就は、大内方であった頭崎城の平賀隆保を攻めて落城させ、家督を平賀広相に継がせました。
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後、毛利氏が防長移封となると、平賀氏もそれに随行し、頭崎城も廃城となりました。

登山道の落葉で滑りながら登城口から頭崎神社鳥居まで約25分弱、山頂(甲ノ丸)まで約40分弱。竹が茂って倒れている箇所もありました。
三ノ丸が開けていたので眺望をと思いましたが、もやがかかってまったく見えませんでした。
下山時、雨に濡れた道で滑り派手に点灯。お尻と両手の平を強打しましたが、手袋をしていたのでケガはなく軽い打身程度で済みました。
攻城時間は95分くらいでした。次の攻城先=白山城に向かいました。

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赤い城

スマホが・・・ (2024/12/08 訪問)

平賀氏城館の3城めです。
大内氏に属していた平賀氏ですが鏡山城が落城したことを受け、白山城の防御に不安を感じた平賀弘保が築城、嫡男の平賀興貞を城主としました。
が、興貞は尼子方に付いてしまったと、何とも。

安芸では高田城に次いで2番めの規模を誇る頭崎城です。
林道で山頂近くまで行けるとのことですが車は大事なので歩いて登ります。
登城口もいくつかあるようですが南側から登城。
車は貞重集会所に置きました。
登城口には案内板もあるので分かりやすいです。

登城路は整備されていて歩きやすくなっていますが急峻
、ようやく鳥居の段まで到着。
一休みしてさらに登ります。
鳥居の先には巨石が、圧倒されます。

さらに登り三の丸へ、写真を撮ろうとしたら何とスマホがシャットダウン😭
うんともすんとも言わなくなりました。
心も折れたのですが本丸の甲の丸までは行こう、と。
甲の丸には石垣もあるのですが目に焼き付けるしかなくここで撤退。

とりあえず下山し、ドコモショップかな、と。
下山し車に乗ったところで電源入れたら復活しました。
ホッとはしましたが何だったのだろうか。
いつの日か再訪したいです。

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todo94

本日2城目 (2018/02/17 訪問)

車用の登城路が整備されていて主郭近くに駐車場が用意されていますが、タイヤが空転しそうな急坂に恐れをなして延々と徒歩で攻めてきました。安芸国では吉田郡山城に次ぐ規模の大きな山城とのこと。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 平賀弘保
築城年 大永3年(1523)
主な城主 平賀氏
廃城年 慶長5年(1600)?[御薗宇城]、不明[白山城]、慶長5年(1600)[頭崎城]
遺構 曲輪[すべて]、屋敷跡[頭崎城]
指定文化財 県史跡(平賀氏の遺跡)
再建造物 説明板(平賀氏の遺跡)
住所 広島県東広島市高屋町高屋東
問い合わせ先 広島県教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 082-513-5021