八条原城から車で10分弱で、光源寺入口(34.486096、132.674757)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、戦国時代に天野興定によって築かれたと云われています。
天野氏は代々大内氏に従っていましたが、興次の子興定のとき、尼子氏が安芸に侵攻すると、他の諸将とともに尼子氏へと移りました。
1524年(大永4年)大内義興・義隆父子は安芸に侵攻し、陶興房が米山城を取り囲みますが、毛利元就が仲介となり、天野氏は米山城を明け渡し和睦となりました。
その後、興定は陶興房とともに各地を転戦し戦功をあげ、間もなく米山城に復帰しました。
大内義隆が陶晴賢に討たれると毛利氏に従って厳島合戦に従軍し、尼子氏の出雲国富田城攻めでも軍功をあげました。
1569年(永禄12年)天野元定は筑前国立花の陣で病を発し帰国後病没。元定には嗣子なく毛利元就の七男元政を養子として迎えました。
関ヶ原合戦後、防長二ヶ国に減封となった毛利氏に従い、はじめ周防国三丘、後右田へ移り16,000石余りを領し、毛利氏に復姓して右田毛利氏の祖となったそうです。
説明板と光源寺の写真を撮って撤退しました。
計画ミスのリカバリ(当初3時間)要の残り1時間20分を生城山城で1時間リカバリしました。残り20分です。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=寺山城に向かいました。
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