おおぎやまじょう

生城山城

広島県東広島市


旧国名 : 安芸

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征18日目:生城山城 (2026/05/28 訪問)

八条原城から車で10分弱で、光源寺入口(34.486096、132.674757)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、戦国時代に天野興定によって築かれたと云われています。
天野氏は代々大内氏に従っていましたが、興次の子興定のとき、尼子氏が安芸に侵攻すると、他の諸将とともに尼子氏へと移りました。
1524年(大永4年)大内義興・義隆父子は安芸に侵攻し、陶興房が米山城を取り囲みますが、毛利元就が仲介となり、天野氏は米山城を明け渡し和睦となりました。
その後、興定は陶興房とともに各地を転戦し戦功をあげ、間もなく米山城に復帰しました。
大内義隆が陶晴賢に討たれると毛利氏に従って厳島合戦に従軍し、尼子氏の出雲国富田城攻めでも軍功をあげました。
1569年(永禄12年)天野元定は筑前国立花の陣で病を発し帰国後病没。元定には嗣子なく毛利元就の七男元政を養子として迎えました。
関ヶ原合戦後、防長二ヶ国に減封となった毛利氏に従い、はじめ周防国三丘、後右田へ移り16,000石余りを領し、毛利氏に復姓して右田毛利氏の祖となったそうです。

説明板と光源寺の写真を撮って撤退しました。
計画ミスのリカバリ(当初3時間)要の残り1時間20分を生城山城で1時間リカバリしました。残り20分です。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=寺山城に向かいました。

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しーげ

道が変わっている (2016/12/30 訪問)

光源寺から新しい道がついているので、これまでと違うので要注意です。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 天野興定
築城年 戦国時代
主な城主 天野氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、枡形、櫓台
指定文化財 市史跡
再建造物 説明板
住所 広島県東広島市志和町志和東