7月5日の予言がちょっとだけ気になったので今週の城攻めはお休みです。津波が来たら親を連れて丘の上まで逃げますか。
まあ、よっぽど当たることはないだろうと思っていたら、またオカンが体調を崩してダウンです。結果的に家に居て良かった、オレ的には例の予言は役に立ちましたよ。サンキューです。
小波城は、山陰自動車道の西側の丘陵に築かれていたとされ、すぐ近くを車道が通っているので、アクセスはそれほど悪くは無い。
全体的に酷い藪に覆われていて、遺構の判別はほぼ不可能です。東側からアクセスを試みましたが、チェーンに阻まれて引き返します。逆にこの酷い藪から解放されて少し、ホッとしている。できればもっと気持ちよく散策したいものだ。
後醍醐天皇が隠岐島を脱出して、船上山に立てこもった際に、隠岐国守護の佐々木清高は天皇を追って小波城に入り、船上山を攻撃したとされます。しかし船上山を落とすことは出来ず、逆に天皇方の攻撃を受けますが小波城の抵抗も激しく双方に多大な被害が出たようです。夜中になって、名和長年が松明を投げ入れるなどして火攻めを行ってきたので、佐々木清高は隠岐国に退いたようです。
+ 続きを読む