鳥取藩は幕末の動乱期、文久2年(1862)に海防の為の台場の築造を開始し、翌年には11の台場に大砲の配備を完了しました。浦富台場は家老・鵜殿長道の担当で4門の大砲を備えていたようです。現在は土塁が残っており案内板の絵図と記述によると西側400mの地にも台場が存在して現存台場は二門の大砲を打ち出すために屏風折れのような突き出た形状をしていますが、西側の台場は枡形形状をしており鵜殿氏が建設に当たっていろいろと試行錯誤をしていたことがうかがえる(ような)気がします。
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2024/01/16 20:29
異なる形状の土塁を備えていたようだ (2019/05/01 訪問)
鳥取藩は幕末の動乱期、文久2年(1862)に海防の為の台場の築造を開始し、翌年には11の台場に大砲の配備を完了しました。浦富台場は家老・鵜殿長道の担当で4門の大砲を備えていたようです。現在は土塁が残っており案内板の絵図と記述によると西側400mの地にも台場が存在して現存台場は二門の大砲を打ち出すために屏風折れのような突き出た形状をしていますが、西側の台場は枡形形状をしており鵜殿氏が建設に当たっていろいろと試行錯誤をしていたことがうかがえる(ような)気がします。
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2022/08/14 21:33
浦富台場 (2022/08/11 訪問)
【浦富台場】
<駐車場他>浦富海水浴場駐車場 海水浴シーズンは駐車料金1000円、シーズン以外は無料かと思われます。
<交通手段>車
<見所>土塁
<感想>浦富台場は国史跡に指定されている6つの鳥取藩台場跡の1つです。現地説明板によると1863年には台場の構築をして大砲の配備を行っているとあります。藩の大砲の鋳造は現在の大栄町(今はすいかで有名)で行い、鵜殿長道が持ち場となったそうです。
現在は土塁が2段になって残っており、台座部分はどの辺だったかはわからない。夏場は無料で駐車できる場所がなく、5分以内の路上停車でちゃちゃっと見ました。
<満足度>◆◇◇
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2019/10/20 14:57
因幡で唯一残存してる台場 (2017/04/02 訪問)
用事で帰省した折寄りました国立公園浦富海岸、海水浴場はちょくちょく寄っては居たのですが台場は初探訪です。
車は台場駐車場。
因幡には後賀露台場が有ったようですが消滅し浦富台場のみ、鳥取県に台場が7、8ヶ所在りますが残りは伯耆に残存しています。
浦富台場は家老鵜殿氏の所領地に現存のM型台場と西に400mほどの所にコ字型台場(現在消滅)が在ったそうです。
台場より西に鳥取藩家老鵜殿大隅陣屋が在り現在は工場と成り門前に案内板が設置されてます、鵜殿氏は愛知県蒲郡に在る上之郷城、下之郷城の鵜殿氏の流れの様です、輝政の継室の叔父にて忠継の後見役5000石、岡山、国替えで鳥取へ家老職として明治まで。
台場の建設と守備は農民の労力と農兵で守られてたようです。
浦富海岸は国立公園、ジオパークにも成って居り風光明媚な海岸です又海産物も豊富で美味し物も有ります、陸から海上からの観光をお楽しみ下さい。
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分類・構造 | 台場 |
---|---|
天守構造 | なし |
築城主 | 鵜殿長道 |
築城年 | 文久3年(1863) |
主な城主 | 鳥取藩 |
遺構 | 砲座台 |
指定文化財 | 国史跡(鳥取藩台場跡) |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 鳥取県岩美郡岩美町浦富 |
問い合わせ先 | 鳥取県教育委員会事務局文化財課文化財係 |
問い合わせ先電話番号 | 0857-26-7525 |