うらどめだいば

浦富台場

鳥取県岩美郡


旧国名 : 因幡

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征10日目:浦富台場 (2026/05/20 訪問)

本日は15:00頃から雨が降る予報です。ぽっぽつ雨が降ってきたかな?
道竹城から車で5分くらいで、浦富第2駐車場入口(35.590078、134.329580)に着きそこから、浦富台場公園入口(35.589867、134.328853)に向かいました。

江戸末期、鳥取藩内に築かれた台場名所の内のひとつ。現在6ヶ所(由良台場跡 境台場跡 淀江台場跡 橋津台場跡 浦富台場跡 赤崎台場跡)が残っています。
農民等が積極的に協力して築造し、西洋式の城塞プランが採用されるなど、藩築造の台場としては極めて特徴的で、幕末史の理解に欠くことのできない重要な遺構のようです。
浦富台場跡は藩執政職にあった鵜殿長道が浦富海岸に築いた因幡に現存する唯一の台場跡です。
東西約100mで、土塁の幅は10m前後、高さ3m前後を測り、前方土塁の平面形は2ヶ所に稜をもつ特異なもので、西洋式の城塞プランが取り入れられているそうです。
1863年(文久3年)沿岸防備の為に築かれた台場の一つです。 これを築くにあたっては付近の農民が動員されその後も農民兵によって守備されてたそうです。

浦富お台場公園として整備され、12斤砲、6斤砲、5寸径砲等4門の大砲が備えられていたそうです。
浦富台場の攻城で、鳥取藩内に築かれた残存台場6ヶ所コンプリートしました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=桐山城に向かいました。

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赤い城

鳥取藩の台場の一つ (2025/10/26 訪問)

幕末に鳥取藩が置いた8つの台場の一つで最も東側にあります。
夏は海水浴で賑わう浦富海岸から道路を挟んだ場所にあります。
公園になっていて土塁が綺麗に残っていました。
ここに4つの大砲が置かれていたそうです。

この辺りの海岸は山陰海岸ジオパークで地形的な見どころも多いです。
この日はエリ限で駆け足での訪問でしたがゆっくり見て回りたいです。

【見どころ】
 ・土塁
 ・日本海の眺望

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しんちゃん

異なる形状の土塁を備えていたようだ (2019/05/01 訪問)

鳥取藩は幕末の動乱期、文久2年(1862)に海防の為の台場の築造を開始し、翌年には11の台場に大砲の配備を完了しました。浦富台場は家老・鵜殿長道の担当で4門の大砲を備えていたようです。現在は土塁が残っており案内板の絵図と記述によると西側400mの地にも台場が存在して現存台場は二門の大砲を打ち出すために屏風折れのような突き出た形状をしていますが、西側の台場は枡形形状をしており鵜殿氏が建設に当たっていろいろと試行錯誤をしていたことがうかがえる(ような)気がします。

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ぴーかる

浦富台場 (2022/08/11 訪問)

【浦富台場】
<駐車場他>浦富海水浴場駐車場 海水浴シーズンは駐車料金1000円、シーズン以外は無料かと思われます。
<交通手段>車

<見所>土塁
<感想>浦富台場は国史跡に指定されている6つの鳥取藩台場跡の1つです。現地説明板によると1863年には台場の構築をして大砲の配備を行っているとあります。藩の大砲の鋳造は現在の大栄町(今はすいかで有名)で行い、鵜殿長道が持ち場となったそうです。
 現在は土塁が2段になって残っており、台座部分はどの辺だったかはわからない。夏場は無料で駐車できる場所がなく、5分以内の路上停車でちゃちゃっと見ました。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 台場
天守構造 なし
築城主 鵜殿長道
築城年 文久3年(1863)
主な城主 鳥取藩
遺構 砲座台
指定文化財 国史跡(鳥取藩台場跡)
再建造物 説明板
住所 鳥取県岩美郡岩美町浦富
問い合わせ先 鳥取県教育委員会事務局文化財課文化財係
問い合わせ先電話番号 0857-26-7525