まるやまじょう

丸山城

鳥取県鳥取市


旧国名 : 因幡

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征11日目:丸山城 (2026/05/20 訪問)

大崎城から車で20分弱で、ローソン駐車場(35.520948、134.226515)に着きそこから、登り口(35.521626、134.224195)に着きました。

1581年(天正9年)羽柴秀吉の鳥取城攻撃の前に吉川経家が鳥取城の出丸として築きました。
この城は毛利水軍から鳥取城へと輸送する中継地としても活用され、ここで水揚げされた輸送物資が雁金城を経由して鳥取城に運ばれたそうです。
羽柴秀吉は雁金城を落とし因幡沖の制海権を押えることで鳥取城の落城を待ち、1581年(天正9年)10月24日吉川経家が自刃し開城、この城に籠っていた奈良日本助、塩冶周防守、佐々木三郎左衛門も自刃したそうです。
城を守った奈良日本助、塩冶周防守、佐々木三郎左衛門については吉川経家から再三、助命するよう嘆願されていましたが、秀吉の命により、周辺を荒らした海賊・山賊という罪によって自刃させられました。

門扉が閉まってました。しかたがないので、遠景の写真を撮って撤退しました。
自宅にもどってから、門扉の写真を確認しました。
鍵はついているが閂にかかっていないので、もしかしてはいれるのではと思い、確認しなかったのを悔やんでいます。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=道竹城に向かう前に鳥取砂丘を見学しました。

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todo94

ゴールデンウイーク後半・因幡の城めぐり⑥ (2025/05/04 訪問)

因幡新山城からの転戦です。鳥取市内には、防己尾城の近くの六反田にも丸山城があり、河原城も城びとの登録名は「丸山城」で紛らわしいことこの上ありません。今回向かったのは、丸山町の丸山城です。国道9号沿いで給油をしてから向かったのですが、覚寺交差点の先の国道9号バイパスが通行止め(おそらく事故が原因)となっていて大渋滞に巻き込まれてしまいました。ほんの3kmほどの距離を進むのに1時間以上、かかってしまいました。諏訪湖花火大会の帰路を上回るわが人生最悪の渋滞でした。肝心の攻城は、城郭放浪記さんの写真で迷うことなく登城することができました。なだらかな山頂部にわずかながらも土塁を確認することができました。渋滞のせいで、ホテルのチェックインは少し遅くなってしまいましたが、日が長くなってきていて助かりました。できたばかりの東横インに泊を取りました。

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ぴーかる

丸山城 (2024/10/05 訪問)

【丸山城】
<駐車場他>駐車場はなし。多目的広場駐車場(重箱緑地公園)に駐車して歩いて登城しました。
<交通手段>車

<感想>初秋の鳥取縦断平山城攻め旅3城目。丸山城は1581年に鳥取城の出城として吉川経家が築城したとされます。また天正年間に築城したとする説もあります。秀吉の鳥取城攻めの際には賀露港から袋川を利用し鳥取城へ物資を運び入れる拠点の城として隠岐水軍の頭領である奈佐日本之介らが入城します。籠城当初は物資を運び入れていたそうですが、港が秀吉軍によって封鎖され、鳥取城とともに籠城しますが、鳥取城の落城とともに丸山城も開城します。奈佐日本之介、退避してきた雁金山城主の塩冶高清らは秀吉によって自刃させられました。
 重箱緑地公園の駐車場入り口の北側道路沿いに日本之介の慰霊碑があるのに痛恨の見落とし、登城口は<35.521624,134.224221>水道施設右手の山に入り込みます。コンクリート階段がありますがだいぶ崩落して登りにくいです。途中道もロストぎみになっていますが比高が低いので何となく登って行けばすぐ尾根上(石仏が2体)に出ます。位置情報の確認をしながらGoogleマップの丸山城跡まで行きました。尾根上曲輪になっていて少し狭いが削平地と土塁が見受けられました。城びとポイントは北の弘法寺になっていて気付かなかったので行かなかったのか、削平地奥に廃屋があり、中に弘法寺と書かれた木と仏像があったので、ここがそうなのかポイント合わせをしなかったのでちょっと消化不良で終わる。

<満足度>◆◇◇

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鳥取城出城を秀吉軍が接収して包囲網に (2022/09/04 訪問)

鳥取城周辺を「お城を探す」で見ていると、丸山城が未投稿であるのを発見。鳥取城をしっかり散策するのと併せて登城。
鳥取城は、花崗岩の切り立った山塊の上にあり、花崗岩の尾根は、比高を下げながら北西に伸びて、一旦地面下に埋まって、その先で独立丘=丸山城として現れます。丸山城は、1枚目の写真に掲載したように名前通り丸っこい山体です。頂部には、硬い玄武岩が被さっており、このために頂部が平で、斜面が急な丸っこい形になったものと思われます。登城道はつづら折れになってますが、それでもとても急で、ロープを張ってある箇所もありました。この急斜面だけで守れそうですが、秀吉軍に接収されて、鳥取城包囲網に使われたのですなあ。
廃寺となった遺構があるとのことでしたが、倒壊した鐘撞楼はそんなに古くない時代のものに見えました。まだ生々しい。

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 なし
築城主 吉川経家
築城年 天正9年(1581)
主な城主 奈佐日本之介、塩冶高清、佐々木左衛門、山縣春往
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 説明板(史跡 奈佐日本介由縁の地)
住所 鳥取県鳥取市丸山