何度かの美作城廻りで、10mk南西の岩屋城、10km南東の院庄城まで行っていましたが、山地に入り込む葛下城は、いずれも日没で断念。津山近傍で一つ未登城(城びと登録内で)として残ってました。そして城びとでもこの付近で唯一未投稿で残された城でした。
山深いところでしたが、北〜東麓を流れる吉井川は津山を経て瀬戸内海までの重要航路であり、山麓の湯指の川湊は栄えたと。また、出雲裏街道も城の北麓を走ります。重要拠点で経済力もあったのでしょう、最終的には、毛利による改修を受けて、葛下城は、東西1100m、南北300mと大規模です。岩屋城では家臣の屋敷群は大手に至る開けた谷に並んでますが、葛下城は山麓に平地はなく、山腹を平削してたくさんの家臣屋敷地が確保されています。ちなみに、葛下城主の中村頼宗は、岩屋城を攻略し、岩屋城主になりました。
山続きになる西側の尾根に岩を穿って深い堀切が作られています。他にも見ごたえ箇所たくさんあり。
城域は個人所有(南の谷を入っていく三叉路に葛下城の標識棒があり、裏面に所有者の名前が書いてあります)のためか、写真を掲載した説明板は、川を挟んだ集落の道沿いに立っています。城域は草刈や標識設置がされていますが、手が回りにくくなってそう。それよりも、登城口までであった林道を凄い勢いで延長されてます。下調べでは林道の突き当たりが登城口とあったので、おかしいなと思いつつだいぶ行きすぎました。
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