いんのしょうやかた

院庄館

岡山県津山市


旧国名 : 美作

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①院庄館跡説明板
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征12日目:院庄館 (2026/05/22 訪問)

葛下城から車で20分弱で、石橋前(35.061259、133.943153)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、鎌倉時代(1180年~1336年)初期の頃から美作守護館としてあったと考えられています。
1347年(正平2年)山名時氏は赤松貞範と戦い、笹向城・高田城を攻め、自ら院庄館を落として居城としました。
1571年(元亀2年)には宇喜多氏がこれを奪い片上秀胤に与えました。この地は、宇喜多・毛利氏の争奪戦がくり広げられた地です。
1603年(慶長8年)信濃川中島より森忠政が美作一国を領して入封。院庄館の修築を試みたが、この地は適地ではなく津山築城となりました。
太平記によれば、1331年~1333年(元徳3年~元弘3年)に起こった「元弘の変」に敗れた後醍醐天皇が隠岐に配流される時、院庄館にて児島高徳が『天莫空勾践。時非無范蠡。』の十文字の詩を記したと云われる伝承地のようです。
院庄館は、明治になって後醍醐天皇と児島高徳を祀る作楽神社境内となっています。

現在は、作楽神社の境内となり土塁と堀跡の一部が残っています。
土塁の周辺に残る堀は、明治になって作楽神社建立の際に掘られた堀のようです。
境内には児島高徳の銅像もありました。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=神楽尾城に向かいました。

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ぴーかる

美作国守護館 (2024/03/16 訪問)

【院庄館】
<駐車場他>作楽神社駐車場30台程あり。
<交通手段>車

<見所>堀
<感想>院庄館跡は鎌倉時代~室町時代にかけての美作国守護の館があった場所です。後醍醐天皇が隠岐の島へ配流にされる時にここに宿泊しています。備前国の土豪児島高徳は後醍醐天皇の奪還解放を試み院庄館まで追跡しますが好機がないままに終わってしまいます。
 堀の外周を1周してから内部の作楽神社へ。遺構はほとんど残っていないようで、津山藩によって児島高徳の顕彰碑が現存しています。作楽神社の創建は明治になってから出来たようです。内部を散策し終了しました。

 この日は矢筈城、葛下城を攻略し、もう山城1城攻める予定でしたが流石に矢筈城の大城郭攻略に体力を使い切り、予備として置いておいた院庄館跡で締めくくりました。走行距離408㎞無事走破。足がくたくた。

<満足度>◆◇◇

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小城小次郎

由緒正しき伝説の館には何が埋もれているのだろう (2021/05/03 訪問)

後醍醐天皇が隠岐に流される際に滞在し、忠臣・児島高徳が桜の木に漢詩を残したとの逸話を今に伝える由緒正しき場所なのだが、発掘調査の範囲が小さくて全貌を把握するには至っていないようだ。何が埋もれているのだろう。

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織田晃司

後醍醐天皇 (2020/10/18 訪問)

隠岐に流される後醍醐天皇と関わりのある院庄館。
三方に土塁か残る。

現在は作楽神社となってます。

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城郭情報

分類・構造 平城(方形館)
築城主 不明
築城年 鎌倉時代前期
主な城主 後醍醐天皇
遺構 曲輪、土塁、横堀、井戸
指定文化財 国史跡(院庄館跡(児島高徳伝説地))
再建造物 碑、説明板
住所 岡山県津山市院庄(作楽神社)
問い合わせ先 作楽神社
問い合わせ先電話番号 0868-28-0719