とみやまじょう

富山城

岡山県岡山市

別名 : 万成城、大安寺城、矢坂城
旧国名 : 備前

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石垣
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ぴーかる

富山城 (2025/02/22 訪問)

【富山城】
<駐車場他>駐車場はなし。法照寺の奥バリケード前<34.667557,133.892063>に停めれます。
<交通手段>車

<見所>巨石・堀切・石積み・眺望
<感想>日帰り相生牡蠣買い旅3城目。富山城は885年に富山重興がここに築城したことに始まります。1467年に松田元隆の攻城を受けて城は落城、富山氏は滅亡します。その後松田氏⇒宇喜多忠家・詮家が城主となり関ヶ原後に廃城となったようです。
 南麓から登城しました。見晴台から分かれ道がありますので、左方向に進みます。めのと岩を通り過ぎ、しばらく歩いて登りきると城跡の空堀兼堀切に出ます。手前が虎口構造になっていた感じがします。空堀を渡り切岸を登ると広い曲輪に着きます。その曲輪の奥にも広い曲輪があり、曲輪は大きく2局構造となっています。着いた曲輪はGoogleの富山城を位置して、奥の曲輪は城びとのポイントを指していますので、どっちが主郭かどっちともとれる2局構造です。着いた曲輪は整備されていて眺望が抜群です。曲輪内部に巨石群が2箇所あります。奥の曲輪との間には両端が崖の土橋を渡ります。奥の曲輪の北端帯曲輪に石垣遺構が少し残っています。この石垣の感じから堀切や虎口跡にある石積みっぽい石は石垣跡ではないかと思いました。両曲輪の曲輪壁は概ね巨石があって直角の切岸となっていて圧巻です。直角壁が高さがあり(5mくらい)、下に降りる道があれば下から見上げて、もっとすごい岩壁が堪能できたと思います。

<満足度>◆◆◇

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風化しつつある花崗岩の急斜面 (2021/04/04 訪問)

岡山市北側の南北に伸びる花崗岩の山体。南北に伸びる尾根は比較的広く平坦なので、どこからでも登ってしまえば横移動は容易。花崗岩の風化が進み、斜面は急で滑り易い。今回は、西側の変電所裏から登った。
尾根は散策道になっており、手作りの標識がたくさん設置されている。北に進み、まず、二ノ丸入口の土橋がある。土橋の向こうの切り岸が高い。二ノ丸には、巨石が露出。2017年11月に登頂されたtodo94さんの写真と見比べると、その後に山火事があったよう。幸い焼けているのは二ノ丸周辺だけ。説明板は枠だけが倒れて残っている。
本丸は、二ノ丸から痩せ尾根を少し降りる。痩せ尾根の道の下を覗き込むと、オーバーハングしていた。本丸の廻りは絶壁。北側は、採石場になっている。本丸の南側、北側に石垣があった。
西側から、見るとなだらかに見える山体だが(4枚目写真)、北から本丸を見るとそそりたっている(5枚目写真)。山から降りて、麓の村を歩くと花崗岩がふんだんに使われていた。まだ、4月上旬なのに、三つ葉つつじが満開であった。

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todo94

朝駆け (2017/11/04 訪問)

早朝に朝駆けしてきました。八坂山の頂上は二の丸で、本丸はその奥になります。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 富山重興
築城年 仁和年間(885〜889)
主な城主 松田氏、宇喜多氏、富山氏、小早川氏
廃城年 慶長6年(1601)?
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
再建造物
住所 岡山県岡山市北区矢坂本町
問い合わせ先 岡山市企画局情報企画課
問い合わせ先電話番号 086-803-1047