【豊田城】
<駐車場他>駐車場はなし。<34.606285, 135.848891>の倉庫前に停めました。
<交通手段>車
<見所>横堀・空堀・堀切
<感想>現地説明板によると豊田城の築城年は定かではありませんが、興福寺大乗院方の衆徒である豊田氏が築城し居城としました。豊田氏は越智氏、筒井氏の有力豪族に属していましたが1570年には松永久秀の傘下になっています。
豊田城跡へは県道51号線から石神神宮への方向版のある農道に入ります。まっすぐ直線に進むと藪に埋もれた登城口と城跡説明板があります。登城口に豊田城0.5㎞とありますが実際は300m程で南郭に入り、登山道もありますので比較的登りやすいです。
主郭・副郭を含む主要部と南郭は曲輪を横堀で囲んだ構造になっており、堀が深くて見応えあります。現地縄張り図では簡単に描かれすぎていて単純な感じになっていますが、堀、堀切が複雑に入り込んで、南郭~主要部、東郭からその東の尾根曲輪を含んだ全体が城跡部分になっていて城跡全体ではそこそこ大きい。南郭内部は藪化、南郭から主郭方向への道が藪化してしまっていて、藪が身長より上に茂っています。南郭虎口から左手北東方向に主郭土塁が見えますので目測で藪を突き抜けるとなんとかなります。
主要部は広い副郭の削平地の北西部3分の1程の広さで1段高くした主郭があります。主郭全体と副郭北側は藪化して落ちたら危険なので奥に進みませんでした。主要部南側西側下は深い横堀になっており西に竪堀となって落ちています。西側下段は半分腰曲輪、半分が掘になっています。北側はその北側尾根と分断する堀切になっていて東側の堀と合流して北東方向に竪堀となって落ちています。
東郭の更に東方向の尾根方向は尾根曲輪が続いていてピークの所に大堀切があります。水場は見つけられなかったので水場から続く堀がこれにあたるかと思われます。
城跡は藪化・倒木が多いものの、入り組んだ深い堀に圧倒されます。いい城跡でした。
<満足度>◆◆◆
+ 続きを読む