いくのじょう

生野城

兵庫県朝来市

別名 : 御守殿、(生野代官所)
旧国名 : 但馬

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主郭
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ぴーかる

生野城 (2024/01/13 訪問)

【生野城】
<駐車場他>琵琶の丸公園駐車場5台分程度あり。
<交通手段>車

<見所>石垣跡・石列・曲輪切岸
<感想>生野銀山には若い頃2度行ったことがあるので今回は見送りました。
 登城口の琵琶の丸公園から城跡までが長い登山で45分かかりましたので2㎞程はあるかと思います。冬場でも飲み物あったほうがよいかと。琵琶の丸公園の山頂展望東屋の手前から山に入ります。中間地点に池のある出曲輪のような削平地があります。城跡は主郭を中心に北・西・南の三方の尾根に曲輪が連段となっています。主郭から北はぐんと下がって曲輪が3段あり、1段目の曲輪北側端に櫓跡の土壇が残っています。主郭から西も曲輪が3段あり3段目がぐんと下がった位置にあります。主郭から南はすぐ下に1段だけ小さめの曲輪があります。
 主郭は比較的小さい円形で中心に巨石が置いてあり、磐座と思われます。主郭の曲輪壁北側に石垣跡が見られます。また西側の連段の曲輪壁に石垣跡、曲輪内部に石列が見られます。
 尾根を削平したオーソドックスな山城の造りですが、苦労して登り着いた城跡、迫力ある曲輪壁切岸に見応えを感じました。城跡にある説明板は日焼けして完全に文字が消えてしまっています。琵琶の丸公園にある縄張り図の西端にある大手曲輪のような場所には行ってません(道も気付かなかった。藪化、ロストしていたかも)。

<満足度>◆◆◇

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但馬と播磨の境目の城、銀山の城 (2021/05/01 訪問)

嘉吉の乱の際に、但馬他の山陰を治めていた山名氏が、播磨の赤松氏を攻めるために築いたのが始まりである。その後、生野銀山を支配するために、増強されたと。
山の頂上に近づくにつれて、安山岩の露頭が増えてきた。主郭には巨石があり、また、一部は、柱状節理により六角柱状に割れた安山岩があり、主郭の石垣に使われていた。平削された曲輪以外は、全てとても急な斜面であり、登城道は人一人が通れる幅しかない。城域も登城道もよく整備されている。
主郭、二ノ曲輪、三ノ曲輪以外にも、大きな曲輪が、北、西、南東にあり、大規模な城域である。ほぼ、草刈りが行き届いており、すばらしい。
南麓には雛壇状の石垣と平坦地があり、中世〜近世の遺構かと思われる。
緊急事態宣言により、生野銀山施設は公開を休止してました。

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城郭情報

分類・構造 山城、(代官所)
築城主 山名時熈
築城年 応永34年(1427)
主な改修者 山名祐豊
主な城主 山名氏、太田垣氏、伊藤石見守(豊臣氏代官)、間宮氏(徳川氏代官)
廃城年 大正時代
遺構 曲輪、竪堀、堀切、土塁、石積
指定文化財 市史跡
再建造物 説明板
住所 兵庫県朝来市生野町口銀谷字古城山
問い合わせ先 朝来市産業振興部商工観光課
問い合わせ先電話番号 079-672-4003