おたじょう

織田城

福井県丹生郡


旧国名 : 越前

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織田一族発祥地の石碑
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昌官忠

2022夏の青春18キップ10日目:織田城 (2022/07/29 訪問)

織田城は山城ですが、登城口の林道入口が立入禁止だとの事前情報より登城を断念し、麓にある劔神社を目指すことにしました。
ということで、武生駅でレンタカーを借り、25分くらいかけて織田文化歴史館駐車場(35.958311、136.054516)に着きました。
織田文化歴史館は10:00開館なので、まだ開いていません。そこから歩いて、劔神社入口(35.957450、136.055916)に向かいました。

戦国時代、朝倉氏の一族・朝倉兵庫助景綱が織田庄を領し織田氏を名乗り、織田城を築城しました。
1570年(永禄13年)に織田信長が越前国を攻めた際は、景綱は500の軍勢で河野口を守備しました。
また、1573年(天正元年)の刀禰坂の戦いでは、木ノ芽峠で敗残兵をまとめ一合戦しようとする朝倉義景の命令を無視して織田城に退却します。
景綱は、そのまま織田信長の軍門に降り、朝倉氏滅亡後も引き続き織田城を守りました。
1574年(天正2年)越前一向一揆が勃発すると、本願寺の七里頼周が率いる大規模な一向一揆勢に城を攻められます。
織田城に篭城したが多勢に無勢であった為に、景綱は織田城の兵を見捨てて、妻子のみを連れて海路から敦賀郡へ落ち延び、その後の消息は不明だそうです。

劔神社に「織田一族発祥地」の石碑や本殿横に織田神社が建てられています。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=清水山城に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 朝倉景綱
築城年 戦国時代
主な城主 朝倉氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 福井県丹生郡越前町上山中