下調べで見つけた、福井新聞オンライン 2018年11月8日の「織田城跡 竪堀群で防御性高く ふくいの山城へいざ!(32)(若越城の会・南氏)」が、縄張り図もあり、参考になります。昌官忠さんの2022年7月訪問の投稿が唯一の投稿ですが、城域に入っておられなかったので、登ってきました。ふれあいの森の入り口から廃林道を行きました。廃というだけあって、オフロードバイクの達人ならなんとか、という感じ。ふれあいの森も「廃」をつけたい状況。1.5kmほどの林道の突き当りが尾根なのでまっすぐ進むと、鞍部を経て、堀切が現れます。道中に見える、冠雪の白山連峰が美しいです。
長さ100mほどの痩せ尾根に主郭と北の郭、それらのまわりの腰曲輪や北西の尾根の段曲輪からなります。主郭から東~南に放射状に作られた竪堀群が特徴的です。ふもとから見ると、このあたりで一番高く、尖った山容がわかります(写真10)。一向一揆の大軍に攻められ、なかなか落城しなかったということですが、こじんまりした城であり、守り通せず、城主が、兵を残して、逃亡したんだと。
昌官忠さんのレポートで織田文化歴史館開館は10時と知ったので、まず、織田城に登城し、次いで、劒神社、そして10時過ぎに文化歴史館と巡りました。地名、城名の織田は「おた」と読むんですね。古代朝鮮半島から渡来してきた機織り技術を持った一団が、この地に来て、糸を作り機織りしたことから、かつては織田は「おりた」と読んだのだと。また、尾張織田氏は、越前守護の斯波氏が尾張守護も兼ねたことから、この地から尾張に出張り、藤原姓であったものを織田姓にしたことも知りました。
昌官忠さんの中国地方~兵庫の城巡り予告。1年前にも増して激しそうですね。投稿を楽しみにしています。
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