きのめとうげじょう

木ノ芽峠城

福井県南条郡


旧国名 : 越前

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モスクワ方面を望む
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鉢伏城 (2025/09/13 訪問)

 観音丸城から稜線に沿って道があり、15分ほど登ると、スキー場の建物が現れ、北東から来るリフト終点です。鉢伏の名前の通り、なだらかな頂上の最上部に、堀、土塁で囲われた鉢伏城があります。南側の堀切、土橋、土塁が迎えてくれます。本郭は長径80m程もあり、広いです。敦賀湾方向の眺望がグッドです。敦賀湾までは険しい山並みが激しく下っており、海から木ノ芽峠までの間では、道をつけにくかったのでしょう。
 リフト終点にブランコがありました。流行りの「天空」でしょうか。帰りは、とても急なコンクリート舗装道を木ノ芽峠下までたどりました。

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観音丸城 (2025/09/13 訪問)

 木ノ芽峠を西側から見下ろし、東側の木ノ芽峠城と峠道を挟んでいます。本郭は土塁で囲まれ、峠道側に虎口が開きます。木ノ芽峠城群の他の城と異なり、小ぶりの石積が随所に見られました。 
 説明板が無くなってますが、脱落した説明板·縄張り図は、峠番屋·茶屋脇の説明板枠のうしろに立てかけてありました。番屋の脇の説明板枠は本来は、木ノ芽峠城の説明板が取り付けてあるはずですが、何処へ?
 観音丸城の脇の道を鉢伏城に向かって登って行きます。スキー場からのアスファルト舗装道から分岐するコンクリート舗装道が鉢伏山山頂まで続いていると他サイトにありましたが、分岐すぐの道の傾斜に恐れをなして歩いて鉢伏城に向かうことにしました。
 赤色立体カルタの投稿イベントは夏枯れ対策にも良かったですなあ。

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西光寺丸城 (2025/09/13 訪問)

 木ノ芽峠を東から臨む、木の芽峠城から東へ200mほど行くと西光寺丸城に至ります。送電線鉄塔保守用に草木が切り払われて、夏場にもかかわらず問題なく進めます。舗装道路からの登り口もあり、道路わきに標識があります。
 木ノ芽峠城群の中では一番新しく、織田氏が朝倉氏を攻める際に備えて築城したとのこと。どうりでしっかり横堀もあります。織田氏が朝倉氏を滅ぼした後、越前一向一揆が織田軍を追い出し、木ノ芽峠城群に依りました。そのさいに西光寺五代真教の一統が立て籠もったことから西光寺丸城と言われています。木ノ芽峠城の出城的に東に続く尾根を守る位置づけのため、木ノ芽峠城側にはあまり防御はありません。
 木ノ芽峠へ引き返し、峠の西側の観音丸城へ向かいます。

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木ノ芽峠 (2025/09/13 訪問)

 明治20年に、越前海岸沿いに国道8号線が開通するまで、木ノ芽峠は越前と近江を結ぶ重要な道として使用されていました。石畳は当時のものとのこと。新田義貞軍が多くの凍死者を出し、朝倉義景が織田軍に追われて通った峠です。
 南北朝時代から砦があったそうですが、要衝であり、朝倉氏、織田氏、一向一揆勢が依り、築城、増強されていきました。
 higekamさんのレポートを参考にして、今庄365スキー場を目指しました。ゲレンデ右手の道を上がって行くことになっているのですが、簡単なバリケードあり。スキー場の方と話して、バリケードをずらして登らせてもらいました。路肩が崩れた所があるのですが、バイクなので通過。
 峠下に大きな見取図、縄張り図があり、上の方に、朝倉時代からという峠番の建屋が見えます。ご主人が石畳のメンテをされてて、お話をうかがいました。峠の東側が木ノ芽峠城です。本郭と北に4段の郭があります。東側に延びる尾根を断ち切る大きな堀切も。本郭他は、元畑で、今もご主人の息子さんが草刈りされていると。勝手に藪化しているのではないかと想像してましたが、嬉しい方に予想が外れました。ありがたいことです。続いて、尾根を東に進み、西光寺丸城へ行きます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 朝倉義景
築城年 永禄12年(1569)
主な城主 堀氏(朝倉氏家臣)、阿閉氏(織田氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定文化財 町史跡
再建造物 説明板
住所 福井県南条郡南越前町二ツ屋