とうごうまきやまじょう

東郷槇山城

福井県福井市

別名 : 槇山城
旧国名 : 越前

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長谷川秀一 (2026/04/16 訪問)

 一乗谷城の支城で下城戸方面から侵入する敵に対する備えとしてだけでなく、越前の経済的拠点である東郷の地を治める城でした。現在みられる遺構は、朝倉氏滅亡後に東郷槇山城主となった長谷川秀一以降の時代のものとのことです。
車で登城されている方が多いと思いますが、徒歩で登城しました。林道となっていて歩いても15分くらいで駐車場となっている二の丸まで行くことができます。公園化や林道の敷設により改変されていますが、堀切、土塁、石垣等見ることができます。
 大手口である三社神社方面へ林道から下りる道が整備されていました。前日降った雨で一部道が泥濘んでいましたが、許容範囲内です。北にある連続郭群へも行って来ました。三社神社方面の道から分かれて連続郭群へ行きますが、道は踏み跡程度です。ただすぐに曲輪に到達します。あさんが投稿されているように整備はされていませんが、疎林で曲輪の散策に難渋することはありません。その後、三社神社方面へ下山していました。

 福井駅からバスに乗り東郷大橋バス停下車。徒歩約5分で登城口に行くことができます。

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大手道から主郭北西の郭群へ行ってみました。 (2026/04/03 訪問)

 朝倉氏の一乗谷へ続く広い谷を向かいの成願寺城と共に守っています。朝倉氏が滅んだ後、豊臣政権下の長谷川氏が整備したとのこと。削平、堀切、土塁の規模は大きいです。天守台の石垣があるというので、主郭切岸か思ったらと、林道まで下ったところなんですね(写真4)。これも切岸と言えば切岸ですが、だいぶん下。早春でもあり、草を透して見ることができました。
 城びと先人は、主郭北西の連続郭群は、未訪問であったり、薮化してあきらめておられます。現場の地図を見ると、北西の郭群に、月見櫓跡とあり、そそります。また、いったん麓まで下りて、大手道からアクセスすると到達できそうな感じです。三社神社まで移動して、登ってみました。幅広の整備された道があり、尾根に上ってT字の左に行くと連続郭群へ、右に行くと主郭群に至れました。連続郭群はあまり手が入ってないですが、疎林であり、散策できました。段々の連続郭や急斜面の切岸を認識することができました。T字の右に行くと写真8のところで、林道に合流します。天守台の石垣の近くでした。

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しんちゃん

長谷川秀一 (2016/08/14 訪問)

東郷槇山城は朝倉氏三代氏景の次男・正景によって築かれたとされています。朝倉氏が一乗谷に本拠を移してからは、その支城としての役割を担ったようです。朝倉氏が滅亡してから時を経て、天正12年(1584)長谷川秀一が城主となりました。
長谷川秀一は本能寺の変の後の「神君伊賀越え」でも段取りや案内役を買って出るなど重要な役割りを果たしているようです。

山頂部には城台(天守閣跡?)があり、下段に二の丸、千畳敷などの曲輪があり、土塁や堀切なども残っています。フリーの赤色立体地図ではこのあたりは範疇外になるようです。訪問していなかった北西の連続郭群を見て見たかったのですが、少し残念。
まだまだ赤色立体化されていない場所も多いです。一番見たいのが関ヶ原の周辺なのですが、諸所の事情が有って難しいのかもしれない。
国土地理院の地形図だけでは判断が難しい所も、赤色立体地図だと一目瞭然です。
見えすぎて困るぐらいではないでしょうか。

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ぴーかる

東郷槇山城 (2022/11/05 訪問)

【東郷槇山城】
<駐車場他><36.012599, 136.273938>の地点に槙山城跡の表示板があります。東に折れ少し進むとゲートがありますので手動で開閉し車ごと中へ入ります。山頂付近にトイレのある槙山公園の駐車場6台程度があります。
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁
<感想>現地案内板によると東郷槇山城は1388年に朝倉正景によって槇山の地に城砦が築かれます。朝倉孝景が本拠地を黒丸城から一乗谷に移すと東郷槇山城は支城としての役割をします。朝倉氏滅亡後は柴田勝家を経て豊臣秀吉より長谷川秀一が15万石で入部して城下町の整備や城郭の二の丸・千畳敷・城台には石瓦の天守閣を築造しました。文禄の役で長谷川秀一が死去後は丹羽長秀の次男長昌が城主となりますが関ケ原後に改易され城は廃城となります。
 城跡は城台と呼ばれる主要部をはさんで鞍部が駐車場、南に千畳敷と呼ばれる広い曲輪があります。千畳敷は公園化されていますが大きい土塁がドカンと一つあり、すごい迫力です。背後は堀切となっていて尾根を分断しています。更に南に下った所(一乗谷に行ける分岐)にも堀切があります。主郭の切岸にわずかに石垣が残り道路から見ることができます。主郭の東側、道路をはさんで段曲輪が広がっているようですが、少し下まで行きましたが、先が藪化していたので断念しました。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 朝倉正景
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な改修者 長谷川秀一
主な城主 朝倉氏、丹羽氏、長谷川氏(豊臣氏家臣)
廃城年 慶長6年(1601)
遺構 曲輪、石垣、堀切
指定文化財 市史跡(槇山城跡)
再建造物 説明板
住所 福井県福井市小路町他
問い合わせ先 福井市教育委員会事務局文化課
問い合わせ先電話番号 0776-20-5367