東郷槇山城は朝倉氏三代氏景の次男・正景によって築かれたとされています。朝倉氏が一乗谷に本拠を移してからは、その支城としての役割を担ったようです。朝倉氏が滅亡してから時を経て、天正12年(1584)長谷川秀一が城主となりました。
長谷川秀一は本能寺の変の後の「神君伊賀越え」でも段取りや案内役を買って出るなど重要な役割りを果たしているようです。
山頂部には城台(天守閣跡?)があり、下段に二の丸、千畳敷などの曲輪があり、土塁や堀切なども残っています。フリーの赤色立体地図ではこのあたりは範疇外になるようです。訪問していなかった北西の連続郭群を見て見たかったのですが、少し残念。
まだまだ赤色立体化されていない場所も多いです。一番見たいのが関ヶ原の周辺なのですが、諸所の事情が有って難しいのかもしれない。
国土地理院の地形図だけでは判断が難しい所も、赤色立体地図だと一目瞭然です。
見えすぎて困るぐらいではないでしょうか。
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