朝倉氏の加賀侵攻、朝倉宗滴の攻撃に対して享禄年間(1528-32)一向一揆の宗徒が築城。城主は沢米左衛門。その後、織田氏の加賀侵攻で落城、最前線基地として改修された。平虎口であるが屈曲し横矢できる桝形空間がある。
三坂越えの街道を見下ろす位置ではあるが、実際は山の奥。登城も緩やかだか長い距離の山道を歩く(約1.6km、比高226m)。攻撃的なというより守備的、立て籠もり用の城砦に感じた。
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2023/12/10 19:31
鳥越城の出城ともいわれる一向一揆の山城
朝倉氏の加賀侵攻、朝倉宗滴の攻撃に対して享禄年間(1528-32)一向一揆の宗徒が築城。城主は沢米左衛門。その後、織田氏の加賀侵攻で落城、最前線基地として改修された。平虎口であるが屈曲し横矢できる桝形空間がある。
三坂越えの街道を見下ろす位置ではあるが、実際は山の奥。登城も緩やかだか長い距離の山道を歩く(約1.6km、比高226m)。攻撃的なというより守備的、立て籠もり用の城砦に感じた。
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2022/09/04 06:24
2022夏の青春18キップ14日目:岩倉城 (2022/08/01 訪問)
鳥越城からの転戦です。遊歩道入口標識付近(36.373968、136.548766)から進入しましたが、辿り着けませんでした。
遊歩道入口標識の200m先を横道に入って200mと間違って判断してしまい、横道に入りましたが進入できませんでした。
鉄門の先には道があるので進入できたら行けたのかもしれません?
後からわかりましたが正解は国道360号線を東に200m行った先に駐車場がありました。
遊歩道入口標識付近に着くまでトンネル工事で待たされたり、GPS座標の投入ミス等、到着時間を大幅オーバ。
心がおれてしまい、登城を断念しました。
築城年代は定かではないようですが、享禄年間(1528~32年)に一向一揆が朝倉宗滴の攻撃に備えて築いたと云われており、 城主は沢米左衛門、家老は勘右衛門・惣左衛門と伝えられています。
1570年(元亀元年)鈴木出羽守の守る鳥越城の出城として三坂峠を守ったようです。1575年(天正3年)織田信長の再度の攻撃により落城しましたが、再び奪還しました。
その後、両軍の最前線基地として攻防を繰り返しますが、1580年(天正8年)鳥越城の落城により、役割を終えました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=安吉城に向かいます。
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 一向一揆勢 |
築城年 | 享禄年間(1528〜1532) |
主な城主 | 沢米左衛門(一向一揆勢) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口 |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 石川県小松市原町 |