いわくらじょう

岩倉城

石川県小松市


旧国名 : 加賀

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くうくう

鳥越城の出城ともいわれる一向一揆の山城

朝倉氏の加賀侵攻、朝倉宗滴の攻撃に対して享禄年間(1528-32)一向一揆の宗徒が築城。城主は沢米左衛門。その後、織田氏の加賀侵攻で落城、最前線基地として改修された。平虎口であるが屈曲し横矢できる桝形空間がある。
三坂越えの街道を見下ろす位置ではあるが、実際は山の奥。登城も緩やかだか長い距離の山道を歩く(約1.6km、比高226m)。攻撃的なというより守備的、立て籠もり用の城砦に感じた。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ14日目:岩倉城 (2022/08/01 訪問)

鳥越城からの転戦です。遊歩道入口標識付近(36.373968、136.548766)から進入しましたが、辿り着けませんでした。
遊歩道入口標識の200m先を横道に入って200mと間違って判断してしまい、横道に入りましたが進入できませんでした。
鉄門の先には道があるので進入できたら行けたのかもしれません?
後からわかりましたが正解は国道360号線を東に200m行った先に駐車場がありました。
遊歩道入口標識付近に着くまでトンネル工事で待たされたり、GPS座標の投入ミス等、到着時間を大幅オーバ。
心がおれてしまい、登城を断念しました。

築城年代は定かではないようですが、享禄年間(1528~32年)に一向一揆が朝倉宗滴の攻撃に備えて築いたと云われており、 城主は沢米左衛門、家老は勘右衛門・惣左衛門と伝えられています。
1570年(元亀元年)鈴木出羽守の守る鳥越城の出城として三坂峠を守ったようです。1575年(天正3年)織田信長の再度の攻撃により落城しましたが、再び奪還しました。
その後、両軍の最前線基地として攻防を繰り返しますが、1580年(天正8年)鳥越城の落城により、役割を終えました。

攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=安吉城に向かいます。

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todo94

一向一揆から織田軍へ (2017/03/29 訪問)

一向一揆の城であったが、織田軍に攻め落とされ鳥越城攻略の拠点となる。急坂登はないが、主郭までの道のりは長いので一通り見て回るには一時間以上必要。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 一向一揆勢
築城年 享禄年間(1528〜1532)
主な城主 沢米左衛門(一向一揆勢)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口
再建造物 説明板
住所 石川県小松市原町