天正6年(1578)神保長住が上杉謙信の侵攻に備えて築城した。その後、織田信長の侵攻に備え、寺嶋牛之助、小嶋甚助が配されたが、佐々成政に敗れた。成政はこの城を支配。遺構は佐々氏のものとみていいだろう。主郭は約40m四方の削平地、南北両端に土塁、特に南側搦手は櫓台に内枡形虎口、空堀に土橋、井戸の窪みまでが強烈な防御の助けになっており圧巻だ。標高640mにもなるが道はあり、薮ってはいたが良好に遺構が見られる。尾根先北の門口の門は大道城の大手門跡と言われる。
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2024/01/03 17:10
戦国末期の縄張が良好に残る越中の山田川上流部の山城
天正6年(1578)神保長住が上杉謙信の侵攻に備えて築城した。その後、織田信長の侵攻に備え、寺嶋牛之助、小嶋甚助が配されたが、佐々成政に敗れた。成政はこの城を支配。遺構は佐々氏のものとみていいだろう。主郭は約40m四方の削平地、南北両端に土塁、特に南側搦手は櫓台に内枡形虎口、空堀に土橋、井戸の窪みまでが強烈な防御の助けになっており圧巻だ。標高640mにもなるが道はあり、薮ってはいたが良好に遺構が見られる。尾根先北の門口の門は大道城の大手門跡と言われる。
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 寺嶋氏 |
築城年 | 天正5年(1577) |
主な改修者 | 佐々氏? |
主な城主 | 寺嶋牛之助、小嶋甚介 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、櫓台、井戸 |
指定文化財 | 市史跡(大道城跡) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 富山県富山市八尾町大道字山城、山田谷 |
問い合わせ先 | 富山市生涯学習課 |
問い合わせ先電話番号 | 076-443-2137 |