おおどうじょう

大道城

富山県富山市

別名 : 大道塁、若狭城
旧国名 : 越中

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くうくう

戦国末期の縄張が良好に残る越中の山田川上流部の山城

天正6年(1578)神保長住が上杉謙信の侵攻に備えて築城した。その後、織田信長の侵攻に備え、寺嶋牛之助、小嶋甚助が配されたが、佐々成政に敗れた。成政はこの城を支配。遺構は佐々氏のものとみていいだろう。主郭は約40m四方の削平地、南北両端に土塁、特に南側搦手は櫓台に内枡形虎口、空堀に土橋、井戸の窪みまでが強烈な防御の助けになっており圧巻だ。標高640mにもなるが道はあり、薮ってはいたが良好に遺構が見られる。尾根先北の門口の門は大道城の大手門跡と言われる。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 寺嶋氏
築城年 天正5年(1577)
主な改修者 佐々氏?
主な城主 寺嶋牛之助、小嶋甚介
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、櫓台、井戸
指定文化財 市史跡(大道城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 富山県富山市八尾町大道字山城、山田谷
問い合わせ先 富山市生涯学習課
問い合わせ先電話番号 076-443-2137