さんじょうじょう

三条城

新潟県三条市

別名 : 三条嶋城、三条島ノ城
旧国名 : 越後

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三条城推定地
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イオ

信濃川に囲まれた城 (2025/09/27 訪問)

平安期に三条左衛門が築いたとされ、南北朝期には池氏の、室町期から戦国期には長尾氏(上杉氏)に仕える山吉氏の居城となりました。その後、上杉景勝が会津に移ると堀直治の家老・堀直政が城主、堀直清が城代となり、堀氏が改易されると松平忠輝の附家老・松平重勝の城となり、松平忠輝が改易になると市橋長勝が信濃川東岸に惣構の新城(近世三条城)を築いて移りました。改易になった市橋氏に代わって入った稲垣重綱が大坂城番になると三条は天領となり、三条城は長岡藩の在番を経て廃城となりました。

中世三条城は三条島ノ城とも呼ばれるように信濃川を天然の堀とする川に囲まれた城だったと思われますが、度重なる信濃川の氾濫により所在すらわからなくなってしまっています。瑞雲橋西詰の県道沿いに石碑が建てられているほかは、ミズベリングの土手が城塁っぽいなとか、瑞雲橋のすぐ上流で信濃川と五十嵐川が合流していて、現代でさえこの水量なら往時はそりゃ氾濫もおきるよなぁと思ったり、雰囲気だけは感じられました。また、石碑から南に約1.5kmの本成寺の黒門は三条城城門の移築と伝わります。三条城唯一の遺構です。

なお、石碑から東南東に約900m、三条小学校跡の複合施設まちやまのあたりが市橋長勝が築いた近世三条城跡で、地表面に遺構は見られないものの、部分的な発掘調査では三の丸跡や外堀跡が確認されているそうで、JR弥彦線・北三条駅西側の高架下に説明板が立てられている…はずですが、見落としてしまいました。
 

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BUGTI

信濃川河口の川の城 (2019/07/06 訪問)

中世から江戸期まで場所を変えながら存続したようですが、正確な場所もはっきりしないそうです。北三条駅前(高架下)の立派な案内板によると、江戸期陣屋の本丸は信用金庫あたりだったようです。近くの本成寺の黒門が唯一の遺構で、おそらく陣屋の門と思われます。

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朝田 辰兵衛

「下町ロケット」ロケ地巡礼の際にはぜひ。 (2018/12/16 訪問)

三条城址碑のある三条藩陣屋跡は,2004年7月13日の水害と2004年10月23日の新潟県中越地震の時に発生した大量のガレキの集積場となり,1年以上も悪臭の発生源となり続けました。現在は言われなければわからないほど。
また,移築門のある本成寺も,2004年7月13日の水害時には,1m以上の浸水に見舞われたエリアです。
微力ながら,当時の復旧工事設計に携わった一人として,特別な思いがこみ上げてきました。
交通手段は,JR燕三条駅近くの「燕三条地場産業振興センター」でレンタサイクルを利用して,三条城址碑のある三条藩陣屋跡と移築門のある本成寺黒門を効率良く廻られたほうが良いかと思います。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 三条左衛門?
築城年 平安時代
主な改修者 上杉景勝、市橋長勝
主な城主 池氏、山吉氏、神余親綱、甘粕氏、堀氏、市橋長勝、稲垣重綱
廃城年 寛永19年(1642)
遺構 移築門(本城寺)
再建造物 石碑、説明板
住所 新潟県三条市上須頃(地図は石碑の場所を示す)