理文先生のお城NEWS解説 第11回 三戸城本丸跡の発掘調査

天文8年(1539)、南部氏の拠点であった聖寿寺館(しょうじゅじやかた)(本三戸城)が、家臣の放火により焼失したため、南部晴政(なんぶはるまさ)が現在の三戸(さんのへ)城の地に城を築いて移り住んだとの伝承が残ります。また、三戸南部氏の勢力拡張に伴う機能移転とも言われてもいます。三戸城へと移った後、晴政・晴継(はるつぐ)が相次ぎ死去すると、田子信直(たっこのぶなお)(南部信直)が三戸南部氏の家督を相続、天正10年(1582)のことでした。

同18年、秀吉の惣無事令(そうぶじれい)を受け入れた信直は、小田原へと参陣し、南部7群の所領の安堵が認められました。

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