2019/09/11
倭城を歩こう(中井均・加藤理文) 倭城の見方編 第8回 倭城の天守を考える 2|加藤理文
前回は、国内だけでなく、朝鮮側・明側にも倭城に天守があったことを伝える記録が残されていることについて、まとめてみました。また、実際に現在も現地に天守台が残り、豊臣軍が、異国の地での築城、さら に戦闘用・補給用の基地にも関わらず、天守を築いていたことに触れました。今回は、実際に現地に残っている倭城の天守台の特徴について見ていきたいと思います。
現在、半島に残る天守台は、自然崩落や人為的に壊されたものもありますが、ほとんどが中心的な曲輪(本丸に相当)に設けられ、曲輪平坦面より一段高く石垣で積み上げられています。国内の諸城と同様で、城内で最大規模を誇っています。
現在、半島に残る天守台は、自然崩落や人為的に壊されたものもありますが、ほとんどが中心的な曲輪(本丸に相当)に設けられ、曲輪平坦面より一段高く石垣で積み上げられています。国内の諸城と同様で、城内で最大規模を誇っています。