2019/04/15
超入門! お城セミナー 第62回【鑑賞】お城は「橋」を戦術的に使い分けていた?
お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。今回のテーマは、お城にかかっている橋について。橋は曲輪間の移動に便利でしたが、合戦時には敵の侵入経路にもなってしまう諸刃の剣でした。しかし、昔の兵士たちは自分たちに有利になるように、通路の用途ごとに木橋と土橋を使い分けていたのです。どのように使い分けていたのか、そしてどんな役割があったのかを解説します。
江戸城平川門前にかかる平川橋(1988年かけ替え)。平川門は城内の罪人や死者を運び出していたため、「不浄門」とも呼ばれた
中世の合戦時には壊されることもあった!? 曲輪間をつなぐ橋
今回のテーマはお城の橋。観光地として人気のある近世城郭の場合、構造物の規模が大きすぎて、橋を渡っていてもそれが橋だと気付かないことが多いかもしれません。でも、戦を想定した防御施設である城の造りは、曲輪と曲輪が堀で分断されているのが基本。その曲輪間を繋ぐために城の各所にかけられた橋は、門や櫓といった虎口を守る構造物の一つなのです。それでは、橋の種類や構造・役割などを見ていきましょう。
城の橋は、地面とつながっている「土橋(どばし)」と、木造の「木橋(きばし)」に大別されます。木橋は掛(懸)橋(かけばし)とも呼ばれるようです。
八王子城(東京都)の御主殿へと通じる復元木橋。木橋は耐久年数が低く現存例がない。現在の城郭で見られる木橋は全て復元である
中世の山城では、空堀を一部掘り残して曲輪間の通路とした、細い土橋がよくみられます。岩盤を掘り残している例もあります。土も岩も、木と違って朽ちることがないため今でもよく残っていて、山中で発見すると気分が上がる遺構のひとつですよね。この細い土橋、戦時には敵が一列になってしか渡れず動きも制限されるので、虎口周辺から狙い撃ちがしやすくなるのです。また山城には、丸太を数本渡した簡易的な木橋がかかっていた箇所もあったとみられています。
滝山城二の丸と馬出をつなぐ土橋。二の丸側から見ると、曲輪に侵入しようとする敵兵を一斉に射撃できることがわかる
近世の土橋は石垣造りに、木橋も大規模となる
近世城郭にも土橋・木橋のどちらもが使われていましたが、すべてを土橋、もしくは木橋にしなかったのは、それぞれの構造に適した、違う用途があったからです。例えば、城内すべての橋を木橋にした場合、壊れたり焼き落とされたりして戦時に使えず、逃げ道がなくなってしまう恐れがあります。でも逆に、敵を侵入させないために橋を落として遮断することも可能。そのため木橋は、裏口である搦手や使用頻度が低めの箇所といった、いざという時防御に徹して完全に遮断する虎口に使われる傾向があるようです。
いっぽうの土橋は、出撃することも想定した虎口にかけられていたようです。近世城郭の土橋は石垣造りのものが多く横幅も非常に広いので、実際に渡っても橋だとは気付かないほどの規模。敵兵は大人数で攻め寄せることができますが、櫓・門・枡形など大人数の敵を一網打尽にできる仕掛けが張りめぐらされた堅牢な虎口を背にしています。城兵を一気に出撃させたら、敵は大いにひるむでしょう。また、平時には重いものや大きなものの搬入・搬出にも便利でした。このため特に広く造る大手口などは土橋が多くなっています。
名古屋城(愛知県)の本丸と西の丸をつなぐ表二之門。石垣で造られた頑丈な橋で、幅も広い
近世城郭の木橋は、頑丈な橋桁・欄干を持つしっかりとした造りのものが多かったようです。とはいえ戦術的な用途も変わらず考慮されていました。例えば、彦根城(滋賀県)の本丸入口である天秤櫓門前の橋。巨大な堀切にかかっている木橋です。まずは、堀切を通って侵入してきた敵の攻撃を遮ると同時に、橋の上から攻撃。そして敵が橋まで進んできた時には、橋を落とす仕掛けでした。高知城(高知県)や盛岡城(岩手県)の本丸入口も同じ構造です。これら3例の木橋は、いずれも特殊な「廊下橋」でした。
彦根城の本丸と鐘の丸をつなぐ天秤櫓前の橋。敵が侵入した際には壊し、立ち往生した敵を集中攻撃できるようになっている
近世城郭にかけられた特殊な橋「廊下橋」「引橋」「跳ね橋」
廊下橋とは、木橋に塀や壁、また屋根を設けて内部を見えなくした橋のこと。戦時には攻撃を防ぐのに有効です。多くは城主専用で、殿様が移動する姿を見せないために工夫されたとみられています。現代の渡り廊下にちょっと似ている感じですが、往時の姿を想像しにくい人は、復元されている和歌山城(和歌山県)・福井城(福井県)・大分府内城(大分県)を、ぜひ訪ねてみて下さいね。
和歌山城の御廊下橋の外観と内観。藩主専用の橋で、内部は壁に漆喰を塗り込めた格式高い造りとなっている
特殊な木橋としては他に、橋の一部を外し、その下に車輪を付けて城内に橋を引き取ったとみられる「引橋(ひきばし)」または「車橋(くるまばし)」、滑車などを使って橋を引き上げる「跳ね橋」もありました。跳ね橋は、映画などで西洋の城に使われているのをよく見かけますよね。江戸城本丸の搦手である北桔橋門(きたはねばしもん)は、名前の通り跳ね橋だったとみられています。
江戸城北詰橋門。残念ながら跳ね橋は残っていないが、橋を跳ね上げるための滑車を吊したと思われる金具が残っている
人や物の通り道としてだけではなく、城を守るための構造物でもあった城の橋。城跡で橋を渡る時には、戦術的にどういう目的でかけられた橋だったのかも、ぜひチェックしてみて下さいね! 今後も、各地の城での橋の復元も期待したいところです。
執筆・写真/かみゆ歴史編集部
ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。かみゆ歴史編集部として著書・制作物多数。