超入門! お城セミナー 第54回【歴史】大名なのに城が持てない!? 「石高」とお城の意外な関係とは

お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。「石高(こくだか)」って何かご存知ですか?。書籍や歴史ドラマなどで当たり前のように登場する用語ですが、何を指すのかイマイチわかっていない方も多いのではないでしょうか。江戸時代の幕藩体制の基盤となっていた「石高」ですが、実はお城とも密接な関係を持っているのです。

金沢城
加賀100万石の居城であった金沢城。大藩ゆえに、絢爛たる城郭の建設が可能だった

「1石」はどれほどの価値があったのか?

「石高」を理解するために、まずは単位としての「石」の説明から入りましょう。「1石」とは、「大人が1年間に消費する米の量」のこと。1食に米1合食べるとすると、1日3食で3合を消費します。それが365日だと3合×365日で1095合となるわけで、この概算から、1000合をひとつの単位として「1石」と定められました。つまり、「大人が1年間に消費する米の量」≒「1000合」=「1石」というわけです。(単位としての「石」は中国で生まれたもので、それが示す量や意味合いは時代によって異なるのですが、そのあたりの説明は割愛します)

豊臣秀吉が行った「太閤検地」は、歴史の授業で必ず習いますよね。太閤検地では、この「1石」を基準単位として、日本で初めて全国の米の生産量を測りました。それが江戸時代にも引き継がれて、土地の生産高=「石高」を基盤とする政治システムが確立。「大名の何某は落ち度があったので3万石に格下げしよう」「家臣の誰それは特別な役職についているから、来年の給料は500石上げてやろう」といった感じで、大名の格や武士の給与額を示す評価基準となったわけです。江戸時代の幕藩体制というのは、このように「石」「石高」に支えられたシステムでした。

『徳川幕府県治要略』、国立国会図書館蔵
江戸時代の検地の様子(『徳川幕府県治要略』国立国会図書館蔵)

ちなみに、「1石」は現在の価値でどのぐらいなのでしょう。まずは単純に米の価格で計算してみます。1石は約150kg。米殻機構発表の2018年12月の平均価格だと、米1kgが411円ということですので、150kg×411円=6万1650円となります。江戸幕府に従事する旗本への支給は通常100石以上でしたから、1合6万1650円×100石=616万5000円が年間の給与額となります。「おお、良い給料じゃん」と思った人もいるかもしれませんが、100石はあくまで額面であり、「五公五民」だとすると(本当は「四公六民」ぐらいが平均だったようですが便宜上「五公五民」で)、半分近くは農民の取り分となるので実収入は約300万円ほど。さらに、旗本は何人かの家来や従者を雇う必要があり、300万強の年収ではとても生活できません。

上記は、米の価格で計算しているところにそもそも無理があります。歴史学者の磯崎道史先生は、映画化もされ大ヒットした新書『武士の家計簿』(新潮新書)の中で、〝現代感覚〟に沿った米価や金・銀の価値を算出しています。それによると、「1石=27万円」とのこと。これだと年収100石の旗本の場合、27万円×100石=2700万円となり、実収入が半分の1300万円だとしても、家族と複数の従者を養うことができそうです。この基準でいくと、1万石の大名は27億円と社員規模100人超の中小企業クラス、加賀100万石の前田家なんて、年商2700億円の上場企業並みだったのですね。

3万石以下の大名は城が持てなかった!?

さて、石高とその現在的な価値の説明を長々としてきましたが、ここからが本題。石高とお城にはどのような関係があったのか? 簡単に言うと、江戸時代の大名は石高によって5階級の家格があり、階級によって城が持てるかどうか決められていたのです。階級は上から順番に下記のとおりです。

<城を持てる>

国主(国持大名)」…1国以上を領有する大名家のこと。加賀の前田家、薩摩の島津家、仙台の伊達家ほか、20家程度
准国主」…国主に準じる大名家のこと。主な家に、柳川藩の立花家、宇和島藩の伊達家などがある
城主(城持大名)」…おおむね3万石以上の石高を持ち、城を持つことが許された大名家のこと。約130家程度

<城を持てない>

城主格」…大藩から特別に独立した大名や、陣屋から城主の格式に昇格した大名のこと。約20家程度
無城(陣屋大名)」…小藩の大名で、藩庁として陣屋しか持てなかった。約100家程度

このように、3万石を基準として、<城が持てる/持てない>のラインが定められていたのです。城が持てない大名は、陣屋を藩庁兼住まいとしていました。陣屋とは政庁・居住機能だけに特化した居館のことで、たいがいは水堀や石垣を持たないか、水堀や石垣を構えたとしてもたいへん小規模で、天守はおろか、石垣上に櫓などの建造物を建てることも禁止されていました。防御的な機能を一切合切排除された建造物だったのです。(陣屋については、この連載で改めて説明します)

高山陣屋跡
飛騨を治めた高山陣屋跡。日本で唯一、役所の建物が現存している

ちなみに先ほどの計算だと、3万石は81億円となります。巨大で複雑なお城は、毎年メンテナンスが必要で、管理し続けるだけでも莫大な費用がかかりました。このぐらいの年収がなければ、保持するのは難しかったのでしょう。

さて、上の<城が持てる/持てない>の階級のなかで、「城主格」の位置に疑問を持った方もいるのではないでしょうか。「城主格」が「城を持てない」の位置にいるのは間違いではありません。江戸幕府は基本的に新たに城を築くことを禁止していました。ですので、独立したり、陣屋大名から城主格に昇格したりした大名に対しても、例外はありましたが、城の新築や陣屋から城へと改築することは原則的に認めませんでした。ただし実際に城は持てなくても、「城主格」というランクは大名の気位を大いに満たすものだったようです。武士にとって城がいかに特別な存在だったかがわかりますね。

最後に、大名の石高ランキングとその居城を見てみましょう(幕末時点)。

 1位:加賀藩前田家(約103万石)=金沢城
 2位:薩摩藩島津家(約73万石)=鹿児島城
 3位:仙台藩伊達家(約62万石)=仙台城
 4位:尾張藩徳川家(約62万石)=名古屋城
 5位:紀伊藩徳川家(約54万石)=和歌山城
 6位:熊本藩細川家(約54万石)=熊本城
 7位:福岡藩黒田家(約43万石)=福岡城
 8位:広島藩浅野家(約43万石)=広島城
 9位:長州藩毛利家(約37万石)=萩城
 10位:佐賀藩鍋島家(約37万石)=佐賀城
  江戸幕府直轄領(約420万石)=江戸城

こうして石高の高い大名家の居城を見ると、さすがそうそうたる名城が並びますね。石高と城の大きさが単純に比例するわけではありませんが、大藩の大名家はその格式を示すためにも巨城でなければならなかったですし、また大藩でなければ巨城を維持することができなかったのです。


執筆・写真/かみゆ歴史編集部
ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。かみゆ歴史編集部として著書・制作物多数。

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