萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第14回 岡豊城 切岸、横堀、畝状竪堀も必見の長宗我部元親の城

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届け! 今回は、長宗我部元親の城・岡豊城をご紹介します。



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四ノ段から虎口へ至る道。三ノ段の切岸も見事

国分川を眼下に見下ろす、長宗我部元親の居城

長宗我部元親の居城、岡豊城。香長平野に点在する丘陵のひとつ、標高97mの岡豊山に築かれています。築城年は定かではありませんが、おそらくは15世紀後半〜16世紀初頭。この地は土佐国衙や土佐国分寺に近く、古代から土佐の中心地でした。

山頂に主郭部を置き、主郭部には詰、二ノ段、三ノ段、四ノ段などが階段状に並びます。土佐では本丸のことを「詰」、曲輪のことを「段」と呼び、元親が行った検地の記録『長宗我部地検帳』にもそう記されています。岡豊城は東西に長い丘陵にあり、西の伝厩跡曲輪、南の伝家老屋敷曲輪までが城域となります。

空堀を越えて2段上がったところが、詰です。中央部には礎石建物があったことが判明していて、礎石から推察すると、なかなかに大きな建物だったようです。南には香長平野、西には高知市街地が見下ろせ、南斜面下には国分川が流れています。西から南にかけては当時から湿地帯だったようです。

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ニノ段からの眺望。香長平野を見下ろし、眼下には国分川が流れる

技巧的な切岸や虎口のほか、畝状竪堀が必見

詰下段や三ノ段からは礎石建物が検出され、三ノ段の土塁の内側には高さ1mほどの石垣が積まれていたことが判明しています。伝家老屋敷跡からの道筋を大手とするならば、中枢部への出入り口は、四ノ段。それだけにこのあたりはなかなか緊張感のある設計で、ぐるりとまわる横堀、立ちはだかる三ノ段の切岸、四ノ段から三ノ段へ至る虎口など、その技巧性にゾクゾクします。

詰の北西側にのびる丘陵で見られる畝状竪堀も、見逃さずに見ておきたいポイントです。放射状ではなく、どちらかというと変則的に設けられています。元親は侵攻した城に畝状竪堀を導入する傾向があるようで、土佐の城にはさまざまなパターンはありつつも畝状竪堀が設けられた城を見かけます。

興味深いのは、詰からは天正3年(1585)に和泉の瓦工によって焼かれた「瓦工泉州」「天正三年」と書かれた瓦が見つかっていること。和泉の瓦工が土佐にやってきて焼いたのか、和泉で焼かれた瓦が運ばれたのかはわかっていませんが、城に用いられた瓦を解明する上でも貴重な事例といえそうです。

元親の母は美濃斎藤氏の娘といわれ、正室も美濃斎藤氏の縁者です。本州に背を向ける位置にある高知は政治・経済・文化などの面において地理的に不利であるため、元親は上方との結びつきを強化するために縁戚関係をひとつの手段にしたともいわれます。元親は明智光秀との関係を通じて、信長の城づくりを取り入れたのでしょうか。それとも、岡豊城の縄張りは元親の独自の発想で生み出されたものなのでしょうか。戦国時代の城づくりを考える上でも、興味深い城です。

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四ノ段西側の横堀と畝状竪堀

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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。


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