都道府県のお城シリーズ 【岩手県のお城】土づくりの城から石づくりの城へ! お城に秘められた歴史のロマンをたどる

岩手県には、日本100名城の盛岡城(盛岡市)、続日本100名城の九戸城(二戸市)などのお城があります。盛岡城、九戸城はともに南部氏にゆかりがあるお城。当時の歴史や時代背景を想像しながらお城めぐりを楽しみましょう!



盛岡城

岩手県にあるお城は?

現在、盛岡城は盛岡城跡公園として整備され、県内外から多くの人たちが訪れる憩いの場となっています。盛岡城は東北を代表する大名であった南部(なんぶ)氏の居城であり、石川啄木が「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」と詠んだ文学と青春の地でもあります。

岩手県北部の二戸市にある九戸城は、豊臣秀吉による天下統一総仕上げと位置づけられた「奥羽再仕置」のしめくくりの舞台となった地です。九戸(くのへ)城には地元に伝わる悲劇の歴史と、城の構造に秘められた物語があります。九戸氏が築いた中世城郭「九戸城」と、蒲生氏郷(がもううじさと)が改修した近代城郭「福岡城」としての姿。今に残る城跡からは東北の城と畿内の城という2つの特徴が読み取れます。

■盛岡城(日本100名城)

盛岡城、石垣
さまざまな技法が使われている盛岡城の石垣

南部藩南部氏の居城として栄えた盛岡城。JR盛岡駅から徒歩15分ほどの場所にあり、観光客や市民がつどう憩いの場所となっています。

盛岡城跡公園に入るとまず目に飛び込んでくるのは、花崗岩で造られた壮大な石垣。土塁づくりの城が多い東北地方では、総石垣造の城はめずらしく、盛岡城は東北の石垣造の三大名城の1つに数えられています。城内の石垣は造られた時期ごとに大きく4つに分けられ、野面積や打込接など、新旧様々な石垣造りの技法を堪能できます。ですが、築城当初は、土塁づくりの土の城で、建造物も板葺き・茅葺きの簡素なものでした。腰曲輪が現在のような立派な石垣造りになるのは、江戸時代以降です。

盛岡城の築城は慶長2年(1597)。初代盛岡藩主南部信直(なんぶのぶなお)が当時不来方(こずかた)と呼ばれていた盛岡に居城を移したことにともない、2代藩主南部利直(なんぶとしなお)を総奉行として鍬初が行われました。その後、3代藩主南部重直(なんぶしげなお)の時代に築城工事が完了し、寛永10年(1633)に南部氏の居城として完成しました。盛岡城は別名を不来方城と言い、現在も「不来方」は盛岡市の雅称として使われています。

春には花見スポットとしても人気の高い盛岡城。築城時に出現し、歴代藩主から「宝大石」として大切にされてきた巨岩「烏帽子岩」、盛岡地方裁判所(盛岡藩旧家老北家跡)にある「石割桜」など、見どころがたくさんあります。季節を問わず訪れたいお城のひとつです。

烏帽子岩、盛岡城
旧三の丸鳩森下曲輪跡に鎮座する櫻山神社境内にそびえ立つ巨岩「烏帽子岩」

所在地:〒020-0023 岩手県盛岡市内丸1
アクセス:JR東北線、東北新幹線「盛岡」駅、IGRいわて銀河鉄道「盛岡」駅から、盛岡都心循環バス「でんでんむし」左回りで約10分、「盛岡城跡公園」下車すぐ。または盛岡駅から徒歩15分。
楽しみ方:城跡見学、自然散策(盛岡城跡公園)、お花見

■九戸城(続日本100名城)

九戸城
美しく切り出された九戸城の堀

秀吉の天下統一の最後の合戦「九戸政実(くのへまさざね)の乱」の舞台として知られる、悲劇の城、九戸城。
九戸城は、西に馬渕川、北に白鳥川、東は猫淵川と、三方を川に囲まれた断崖の丘に築かれた難攻不落の城です。築城されたのは九戸氏最後の城主となる九戸政実の4代前の時代、明応年間(1492〜1501)だと推定されています。もともとは、地形を活かした土づくりの中世城郭でした。

九戸城の歴史で最も重要な事件は、天正19年(1591)に勃発した「九戸政実の乱」です。九戸城城主、九戸政実が豊臣秀吉による「奥羽再仕置」に抵抗し、約5千の手勢で九戸城に籠城。それに対して豊臣秀次(とよとみひでつぐ)を総大将とする上方軍約6万が城を囲み攻略に臨みます。しかし上方軍は圧倒的な戦力の差にもかかわらず攻略に苦戦し、九戸城方へ「女子供は助命する」と偽り、和睦を申し込みました。その申し出を信じた九戸政実が開門したところ、上方軍が一挙に城内になだれ込み、九戸城は落城した、と伝わっています。

その後、九戸城は蒲生氏郷(がもううじさと)の手により改修され、九戸氏時代の土づくりの中世城郭から、石づくりの近世城郭へと姿を変えます。この時、城の名前も「九戸城」から「福岡城」に改められました。今も本丸の堀に残る野面積の石垣は、彼に率いられた穴太衆によって築かれたもので、北東北最古の石垣として知られています。

その後、南部氏の居城となるも、寛永13年(1636)に福岡城は廃城になります。それから長い年月が経った昭和10年(1935)、城跡が史跡として登録されることになりました。その時、地元の人たちが望んだ城の名前は「福岡城」ではなく「九戸城」でした。中央の大きな権力に対して、正々堂々と戦った郷土の誇り。それがこの「九戸城」なのです。

所在地:〒028-6101 岩手県二戸市福岡字城ノ内、松ノ内
アクセス:JR東北新幹線、IGRいわて銀河鉄道「二戸」駅から、JRバスで約3分「呑香稲荷神社前」下車、徒歩5分。
楽しみ方:城跡見学、自然散策(盛岡城跡公園)、お花見

執筆/城びと編集部

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています