城:縄張から普請まで|加藤理文 織田信長の城・安土城 第12回(最終回) | 安土城の終焉

日本城郭協会理事  加藤理文先生による「城:縄張から普請まで」をテーマにした講座。安土城編は今回が最終回です。織田信長は完成した安土城を民衆に開放して自由に見物させたほか、宣教師が帰国する際には提灯でライトアップして見送ったといいます。しかし、本能寺の変が起こり、わずか数年で安土城はその姿を消します。安土城の終焉とは?

天正9年(1581)以降、信長は、来るべき織田政権の正式発足に備えてか、様々なデモンストレーションを手掛けることになる。まず、正月15日左義長(小正月に行われる火祭りの行事)と併せた安土馬揃え(軍事パレード)を行った。ついで2月28日、天皇が見守る中での都馬揃えを実施。この時の信長のいでたちは、まるで住吉明神のご来現と人々に言われ、都中に泰平の世の到来とその力を見せ付けた。まさに信長による天下統一完成の前祝と呼ぶに相応しいものとなった。

安土城の開放と盂蘭盆会

信長は、完成した安土城天主や御殿を民衆に開放し、その権威と豪華さを天下に知らしめようとした。領国内に布告し、男女問わず何人でも自由に城を見物できる許可を与え、入場を認めたのである。諸国から集まった群衆は後を断たず、その数はおびただしく、人々を驚嘆させたと記録される。これこそ、戦国乱世に暮らす人々に、統一による平和な時代の到来と安寧を知らしめる行為であった。この年の盂蘭盆会(うらぼんえ)(一般的にお盆と呼ばれる期間の行事)も、歴史に残る盛大なものとなった。帰国する宣教師ヴァリヤーノを送るため、城下の全ての灯を消させ、天主及び城内の建物全てに提灯を吊るし、堀には松明をともした船が浮かべられた。提灯は、いろんな色を放ち、この世とも思えぬ美しさであったという。この行事が、安土城で最も華やかな最後の輝きになろうとは、この時誰が想像したであろう。

百々橋、摠見寺、石垣
人の重みで崩れたと言う百々橋から摠見寺へ上る石垣

そして運命の天正10年(1582)を迎える。正月参賀は、あまりの賑わいに、百々橋から摠見寺へ上る石垣が人の重みで崩れ、死者が出るほどとなった。年賀の挨拶にあたって信長より「大名・小名に限らずお祝い銭を百文づつ各自で持参するように」との達しまで出された。参賀した家臣たちは、天主を初め本丸御殿、御幸の間、江雲寺御殿、南殿など主要部を見学し、最後に信長自身にお祝い銭を手渡している。心憎いばかりの演出で、参賀に訪れた家臣達は、信長に従える満足感と天下統一後はどこの国を貰えるのかと、一国一城の主になる未来を予感し、喜びに打ち震えたであろうことは想像に固くない。

毛利制圧後、「太政大臣」・「関白」・「征夷大将軍」の三職のいずれかに信長が推挙され織田政権の正式発足が予想された。しかし、本能寺の変によって、信長はもちろんその居城までもが地上から姿を消す運命となった。

本能寺の変と安土城炎上

本能寺の変後、明智光秀は直ちに天下制覇の拠点安土城に入り、織田家重臣たちに無言の圧力をかけることをねらった。しかし、瀬田橋を焼き落され、3日間のロスを生じてしまう。6月5日、やっと空の安土城へと入城。光秀は、さっそく吉田兼見を迎え、朝廷の信任を確認。9日には再上洛し、朝廷に銀子を献上している。

だが、山崎の戦いによって明智方は敗北。安土留守居役の明智秀満は、坂本城へと退去してしまう。翌日、空き城となった安土城が突如燃え上がる。『兼見卿記』には、「十五日、壬申、安土放火云々」とあり、城が放火されたことを伝えている。従来、秀満が退去する時、城下に放った火が飛び火したとか、次男信雄の兵が残党狩りのために城下に放った火が飛び火したと言われてきた。

安土城、本丸取付台、石垣
火災で焼けただれた本丸取付台の石垣

しかし、安土城の発掘調査により、類焼部分は黒金門より内部の主要部のみで、他はまったく焼けていないことが明らかとなった。これにより、城下からの飛び火説は打ち消された。安土城は、天主に放火され、主要部のみが炎上し地上から姿を消したのである。宣教師の記録にも残るように、次男信雄放火説が有力となっている。

清洲会議の後、信忠の嫡男三法師が一時安土に入り、信長一周忌には秀吉が城内に墓を建立したと言われている。類焼を免れた建物は、そのまま残されたのであった。

天正十三年(1585)、羽柴秀次の八幡山築城に際し、城内に残る石垣・建物だけでなく、城下までもがまるごと八幡山へと移転された。ここに、安土山から全ての建物が消え去ったのである。信長が天下布武をめざし築き上げた城が、地上から姿を消した翌年、羽柴秀吉は関白太政大臣に昇りつめ、豊臣の姓を賜ったのである。

安土城、八幡山城跡、城下
安土城より城下まで移された八幡山城跡を望む

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今回で「城:縄張りから普請まで」安土城編は最終回となります。来月からは、加藤先生が注目する最新の研究や発掘調査などを解説する新連載がスタート予定です。お楽しみに!

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加藤理文(かとうまさふみ)
公益財団法人日本城郭協会 理事、学術委員会副委員長
NPO法人城郭遺産による街づくり協議会監事
1958年 静岡県浜松市生まれ
1981年 駒澤大学文学部歴史学科卒業
2011年 広島大学にて学位(博士(文学))取得
(財)静岡県埋蔵文化財調査研究所、静岡県教育委員会文化課を経て、現在袋井市立浅羽中学校教諭

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