現地レポーターが語る!安土城の見どころ3選!

日本全国には、お城が大好きで、日々SNSなどでお城の情報を発信し続けている方が、たくさんいらっしゃいます。今回は、滋賀県在住の判兵庫さんが登場。旧安土町(現在の近江八幡市)で生まれ育った判兵庫さんは、「幼い頃から現在まで、数知れず安土城跡を訪れ、安土城跡全体を体感している」という根っからの安土っ子。現在は仕事の傍ら、安土城や安土の街の歴史をtwitterで発信しています。そんな判兵庫さんがおすすめする見どころとは?

謎の多い幻の城・安土城

安土城は、天正4年(1576)織田信長が丹羽長秀に命じ天下統一の拠点として築いた城です。標高200mの安土山に、日本で初めて本格的な天守が造られ、全山総石垣の城が築城されました。その豪壮華麗な姿は宣教師を通して遠くヨーロッパにまで伝えられたそうです。しかし、安土城が存在したのは完成からわずか3年あまりだったため、安土城に関する記録はほとんどなく、多くの人が幻となったその姿を追い求めています。

それでは、その幻の姿を少しでも垣間見るために、安土っ子おすすめの見どころを3つご紹介していきます。安土城を見学する際は、受付から大手道を通って、大手道の左右に点在する家臣の屋敷跡や信長公本廟、天主跡(安土城では、天守は天主と表記)などをまわるのが一般的ですが、これから紹介する3つのポイントも合わせて見ていただきたいです!

訪れた人が笠に石を積み上げた「お化け燈籠」

まずご紹介するのはお化け燈籠です。安土城築城時代のものではなく、江戸時代に置かれたものと言われています。火袋(燈籠の火を灯すところ)以外はすべて加工されていない自然石を用いています。どうしてこのお化け燈籠を見ていただきたいかというと、以前は、燈籠の左手にある細い石段道から黒金門へ、右手は主郭南面外周路を通じて本丸南虎口へ向かう分岐点になっていました。つまり、お化け燈籠を分岐点に二方向から本丸に行くことができたので、安土城を訪れた人は、お化け燈籠を目指して麓からへとへとになりながら登ったのです。平成の大手道復元以降、これらの道は通ることができません。

安土城
お化け燈籠の「お化け」は大きなという意味で、燈籠の右手には、分岐点を示す石標があります

見つけ方ですが、大手道の長い石段を上がり、西へ直角に曲がる短い「横道」から、さらにジグザグに上がる「七曲り」を登り切った大手道終点で、摠見寺本堂跡方面に向かって真後ろに振り返ってください。よく見ると10mほど先の樹木の中に、高さ約3mほどの大きな燈籠を見ることが出来ます。燈籠の笠の上の部分には、江戸時代から昭和までの間に安土城跡を訪れた人々が積み上げた小石がたくさん並んでいます。かつて安土城を訪れた人たちの思い出が感じられるモニュメントです。

信長の足跡!?「仏足石」

次にご紹介するのは伝二の丸下に鎮座する仏足石です。私が子どもの頃(40年程前)には、「信長の足跡」と呼ばれていて、子ども心に信長の足をかたどったものと信じて疑わなかった印象深い石造品です。もちろん、これは信長の足跡ではなく、釈迦の足跡、すなわち信仰の対象です。この仏足石の四辺が割り砕かれていることから、この石は石垣用の石として転用されていたものと考えられています。

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かつて信仰の対象だった「仏足石」。今でも地元の子どもたちは、私と同じように信長の足跡と信じているかもしれません

この仏足石の右横にある立札には、奈良薬師寺の仏足石が現存最古のものとして有名で、この仏足石はそんな中世の稀有な仏足石で大変貴重なものであると書かれています。それに対して、何故そのような貴重なものが安土城跡にあるのか?本当に転用石なのか?といった疑問が湧き出ます。安土城には「蛇石」という巨石にまつわる謎がありますが、この仏足石も謎の石として取り上げても良いのではと思います。

安土城跡には、仏足石の他にも多くの石仏をはじめ層塔・高狭間石・一石五輪塔・宝篋印塔の基礎・五輪塔の地輪・石標・板碑が、石垣の中や石段などの様々な場所で多く見られますので、大手道を通られる時など注意して見てみてください。

馬で駆け上がれない古の登城道「馬返坂」

最後にかつて「馬返坂」と呼ばれていた石段をご紹介します。実は「馬返坂」というのは、地元の人にもあまり知られていない、近年では忘れ去られた呼称です。安土城から下山したら、安土城の西側にある百々橋の方へ向かってみてください。安土城の百々橋口には、黒金門へと向かう石段があります。この石段の百々橋口から途中にある石部神社鳥居前までを「馬返坂」といいます。石段の勾配が急峻になっているため、乗ってきた馬を降りて歩かねばならなくなる、つまり安土城内へ容易に馬で駆け上がれないようになっているので「馬返坂」と伝わる石段です。

現在の安土城跡の正面口は大手道の方ですが、信長公時代の安土城の正面口は百々橋口だったと言われます。百々橋口から摠見寺を経て黒金門へ入るルートで、この道は「信長公記」に登場します。

『正月朔日、隣国の大名・御連枝の御衆、各安土にあり侯て、御出仕あり。百々の橋より惣見寺ヘ御上りなされ、生便敷群集にて、高山へ積み上げたる築垣を踏みくづし、石と人と一ツになりて、くづれ落ちて、死人もあり。手負は数人員を知らず、力持ちの若党どもは、刀を失ひ、迷惑したる者多し。』

内容は、お正月に大名や御連枝の御衆が大勢で登城したため、築垣が崩され、石と人が落下し死人が出る騒動になってしまったというもの。大勢の人が将棋倒しとなった大惨事、想像すると怖くなりますね…。

実際に、石段を少し登ってみるとその急な勾配を実感出来ます。一段一段踏み締めながら、ゆっくり登ってみてくださいね。安土城へは百々橋口からの入城はできません。受付を通って大手道からなので、くれぐれもご注意を!

安土城
ここが百々橋口で、急峻な石段が続きます。少し登ると石部神社の鳥居の前に出ます。安土城跡へはここからは入れないのでご注意を!(受付から入ります)

安土城
摠見寺二王門から本堂跡辺りを見上げたところです。摠見寺は、安土城築城の際に信長が他所から移築し、自身の菩堤寺にしたと伝わるお寺です

安土城
摠見寺表門跡から二王門を見下ろした眺め

安土城は、信長公御廟、礎石が並ぶ天主台、天守台から見下ろす琵琶湖の絶景なども必見です。はじめて安土城を訪れる方は、駅前でレンタサイクルをして、安土城天主 信長の館や県立安土城考古博物館に立ち寄ってから訪れるのがおすすめです。特に信長の館では安土城天主の原寸大復元やVR「絢爛 安土城」が見られるので、かつての安土城をイメージしながら登城すると楽しいですよ。

安土城
形式:山城
築城年:天正4年(1576)
築城者:織田信長
主な城主:織田氏
所在地:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
アクセス:JR安土駅から徒歩25分(自転車10分) 
入山料:700円
入山時間:9~16時(季節により変動あり)

執筆/判兵庫
安土生まれ。春は石垣の桜、夏は伝羽柴秀吉邸跡でカブトムシ取り、秋は遠足、冬は城跡全域で雪合戦と、安土城跡の四季を感じながら、育った根っからの安土っ子。会社員のかたわら、安土城や安土の街の歴史をtwitterで発信中。

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