超入門! お城セミナー 第39回【歴史】戦国武将ってあんな山の上に住んでいたの?

初心者向けにお城の歴史・構造・鑑賞方法を、ゼロからわかりやすく解説する「超入門! お城セミナー」。今回のテーマは山城と山麓居館です。戦の際には防御の拠点として高所に築かれることが多い山城。山城を本拠としていた武将たちは、交通の便が悪い山の上に住んでいたのでしょうか? 武将と山城の関わりについて迫ります。

唐沢山城、眺望、栃木県
唐沢山城(栃木県)からの眺望。戦国武将たちは、日常的にこのような風景を見ていたのだろうか…?

山上と山麓の二段構造だった山城

山上からの素晴らしい眺望は、山城探訪の大きな魅力ですよね。でも、「戦国武将たちはあんな不便な山の上に本当に住んでいたの?」と、気になっている人も多いようです。実例を挙げて、戦国武将の山城と住居の関係を探ってみましょう。

日本史上、山城が爆発的に増えた時期が2度あります。1度目は、朝廷が分裂して全国で争乱が頻発した南北朝時代。千早城や赤坂城(いずれも大阪府)は、この頃誕生したといわれています。でもこの時代の山城は、細い尾根などの自然地形をほぼそのまま利用した、臨時的な軍事施設でした。

千早城遠景、楠木正成、籠城
千早城遠景。この城に籠城した楠木正成は、奇策を用いて鎌倉幕府軍に大損害を与えた

2度目の山城築城ブームは、応仁の乱に端を発した戦国時代。この頃まで、武士が家族とともに生活していたのは平地の居館でした。堀などで防御されていたものの、戦には対応しきれないと判断した武士は、居館とは別に戦時用の拠点を設けました。「守りやすく攻められにくいのは、やっぱり高い所!」ということで、居館の背後にある山などに山城を築いたのです。この時代は戦が常態化したため、山城も管理された恒常的な軍事施設になっていきました。

「やっぱり戦国武将は山の上に住んでたんだ!」…と思いきや、恒常性が増したとはいえ多くの戦国時代の山城には、居住性はなかったようです。このため普段は平地や山麓の居館に住み、戦になると山城に詰めるという、いわゆる「山麓居館と詰城」のセット構造がスタンダードになりました。

越前の戦国大名・朝倉氏の一乗谷朝倉氏遺跡(福井県)は、分かりやすい代表例です。山城である一乗谷城の麓に、居館である朝倉館が建っていて、城下町も発達していました。関東の戦国大名・後北条氏の支城だった八王子城(東京都)もこのスタイルで、現在城跡では山上を「要害地区」、山麓の平地を「居館地区」と呼んでいます。また、美濃の戦国大名・斎藤氏の稲葉山城(岐阜県)の麓にも居館があったようです。織田信長が攻略してから岐阜城と名が改められますが、やはり山麓には、近年調査・発掘が進んでいる信長の居館跡があります。さらに最近注目されているのが、東北の戦国大名・伊達氏の館山城(山形県)。近年の調査で、伊達氏が勢力を拡大した時期の本城であったことと、伊達政宗の生誕地がここであることがほぼ確実となりました。このため、山城と同時期に築造された山麓の居館跡にも熱い視線が注がれています。

一乗谷城、山城、山麓居館
山城と山麓居館のセット構造の代表例・一乗谷城。復元整備が進んだ城下町では、戦国時代気分が味わえる

戦国大名に従った領主たちの山城にも、このセット構造の例がたくさんあります。在地領主の本庄氏が築き上杉謙信と攻防戦が繰り広げた村上城(新潟県)、武田信玄の侵攻まで信濃の諏訪地方を治めていた諏訪氏の上原城(長野県)、信長の叔母にあたるおつやの方が城主を務めた岩村遠山氏の岩村城(岐阜県)、関東には珍しい石垣と石敷が見事な岩松氏・由良氏の金山城(群馬県)、落城後に山麓居館部分だけ改修され出石城となった山名氏の有子山城(兵庫県)、三好氏が長宗我部氏と攻防戦を繰り広げた、阿波小笠原氏の一宮城(徳島県)などなど…。

有子山城、出石城下、但馬の小京都
出石城下から見た有子山城。「但馬の小京都」と呼ばれる出石は、もともと有子山城の城下町だった

山城にも武将は住んでいた!?

一方で、このスタンダードなセット構造にはまとまらなかった例外もありました。

上杉謙信生涯の居城だった春日山城(新潟県)や、広島城(広島県)の完成まで毛利氏代々の居城だった吉田郡山城(広島県)、尼子氏盛衰の舞台である月山富田城(島根県)などは、大名の勢力拡大とともに山城の規模もどんどん拡大し、山全体が要塞化された巨大山城です。この城の城主たちは確かに「山の上に住んでいた」と言えますね。

春日山城、上杉謙信、居城、曲輪
上杉謙信が居城としていた春日山城は、山全体に曲輪が無数に造られ重臣らが居住していた

また、乱世の危機感が強かった畿内周辺の大名も山上に住む傾向が強かったようです。浅井氏の小谷城(滋賀県)、六角氏の観音寺城(滋賀県)、赤松氏の置塩城(兵庫県)などは、居住性と政庁の機能をあわせ持っていた山城で、山上に瓦葺きの建物が立ち並んでいたようです。

小谷城大広間跡、浅井三姉妹、お市
小谷城大広間跡。お市の方や浅井三姉妹は、ここに居住していたと考えられている

このように戦国武将たちの住居は、家格、家勢、本拠地の情勢、時流など複数の要因に左右され、一様ではありませんでした。不便な山の上には住まない武将が多数派でしたが、設備が充実した山城に腰を据えて住んだ例もあったのです。山城跡を訪れる時には、ぜひ居館跡の有無とその場所もチェックしてみてくださいね!


執筆・写真/かみゆ
ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。かみゆ歴史編集部として著書・制作物多数。

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