2018/07/17
城:縄張から普請まで|加藤理文 織田信長の城・安土城 第8回 | 天主の平面規模
安土城天主台は、穴蔵部分の上部が崩落しているものの、内部土蔵部分は礎石を含めほぼ旧状を留めている。発掘調査も実施され、現状はほぼ正確に把握されている。
記録としては、『信長公記』巻九 安土山御天主の次第に、天主の規模が記載されている。この『信長公記』記載の規模と現状の天主台規模の相違に対し、様々な議論が見られる。だが、最大の問題となる「度量衡」についての検討が不十分と言わざるを得ない。『信長公記』記載の1間を、現状の安土城の穴蔵礎石間の7尺(212.1㎝)1間と考えていいのだろうか。『信長公記』は設計記録ではなく、あくまでも慶長元年(1595)以降に編纂されたと信長の一代記なのである。
記録としては、『信長公記』巻九 安土山御天主の次第に、天主の規模が記載されている。この『信長公記』記載の規模と現状の天主台規模の相違に対し、様々な議論が見られる。だが、最大の問題となる「度量衡」についての検討が不十分と言わざるを得ない。『信長公記』記載の1間を、現状の安土城の穴蔵礎石間の7尺(212.1㎝)1間と考えていいのだろうか。『信長公記』は設計記録ではなく、あくまでも慶長元年(1595)以降に編纂されたと信長の一代記なのである。