戦国武将と城|小和田哲男 <豊臣秀吉と城>第4回 石垣山城を秀吉が短期間で築いたわけ

秀吉は天正18年(1590)3月1日、自ら3万2000の直属軍を率いて京都聚楽第を出陣し、4月6日には箱根湯本の早雲寺に到着し、21万とも22万ともいわれる大軍で小田原城を包囲している。しかし、小田原城は惣構(そうがまえ)といわれる総延長9キロにおよぶ大外郭に守られており、秀吉としても短時日で落とすのは困難とみて、城攻めのための陣城、すなわち対(たい)の城の築城にかからせている。これが石垣山城で、短期間にできたことから通称石垣山一夜城とよばれるが、もちろん、石垣山城というよび方は近世になってからである。

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