城:縄張から普請まで 織田信長の城・安土城 第7回 | 絵画資料に見る安土城の姿

日本城郭協会理事  加藤理文先生による「城:縄張から普請まで」をテーマにした講座、安土城編。今回は、安土城の外観を伝える海外の絵画資料からわかること。

安土城の外観を伝える国内の絵画資料は、現時点では皆無である。海外に目を向ければ、安土城のスケッチや「安土山図屏風」(信長の命で、実物と寸分違わぬように詳細に描いたと伝わる屏風で、宣教師ヴァリニャーノを通じ、ローマ教皇グレゴリオ13世に献上された。この二曲一双の屏風はヴァチカン宮殿「地誌廊」に展示されたが、その後行方不明となったまま現在に至っている)を見て描いた木版画が残されている。いずれも、日本建築を理解したうえで描いているわけではないので、問題は多いと言わざるを得ない。しかし、安土城天主等の外観を伝える資料がほかには見当たらないので、なんとか解釈を試みる必要性は高いと思われる。

まず、「安土城天主」と「城門」のスケッチと思われる木版画が伝わっている。これは、ルーヴァン(ベルギーの中世都市)第一の画家フィリップス・ファン・ウィングがバチカン宮殿の屏風を見て描いたものだ。天主を描いたと考えられるスケッチは、天主の全体像ではなく望楼部(五・六階)のみを表現しているように見える。後方に見える船は、琵琶湖に浮かぶ姿を描いたとするのが最も妥当ではないだろうか。

天主の最上階に二つの華頭窓が描かれ、屋根は、瓦葺きであったことを表現しているようだが、瓦当部がことさら強調されている。これは、屏風に丁寧に描かれた金箔瓦が、ことのほか印象的だったからとしか思えない。全体を描かず望楼部のみとしたのは、瓦と同様にこの部分が特に目立っていたためであろう。最下部の渡廊下のような表現は、天主と本丸御殿を結ぶ渡廊下、もしくは御殿同士を結ぶ渡廊下を描いたと考えられる。天主より前に描くことで、天主より前にあったことを表現しているのだろうか。瓦屋根でないのは、天主の屋根と異なる表現方法であるため確実で、檜皮葺きと理解されよう。

安土城、ウィング、スケッチ、木版画、天主、渡廊下
ウィングのスケッチによる木版画(天主と渡廊下)

次に城門だが、二階櫓門となっているため、主要部の門が確実だ。さらに石垣右側の巨石は、今も安土城の主要部に残る見せるための巨石と思われる。二階櫓門であること、巨石を利用している等の特徴から、伝黒金門、本丸西門、本丸南門の3ヵ所のいずれかであろう。よく見ると、櫓門の二階部が、石垣上に載っていないことや、両脇の多門櫓下部に腰屋根が描かれている。安土城の城門は、櫓が城門の上部だけに建つ「総二階建」の門で、左右の櫓に挟まれていたのだ。現存する例は、弘前城(青森県弘前市)の重要文化財の諸門である。多門櫓に腰屋根が採用されているのは、石垣と櫓の接合部から雨水等が入らないようにする工夫であろう。現存例は、丸岡城(福井県坂井市)天守だが、高島城(長野県諏訪市)も古写真を良く見れば、腰屋根が採用されている。

安土城、ウィング、スケッチ、木版画、城門
ウィングのスケッチによる木版画(城門)

弘前城、亀甲門
総二階建ての弘前城北門(亀甲門)

丸岡城、天守、腰屋根
丸岡城天守の腰屋根

この他、1736年、パリで刊行された本に掲載された『安土城下全図』も有名である。ヨーロッパの城のように描かれてはいるが、イメージとしては、確かに安土城とその城下を表現しているように見える。最高所に皇帝(信長)の宮殿(本丸御殿)と、城砦(天主)を、中腹から山麓に諸侯の館、そして琵琶湖に面して碁盤の目状の城下町が描かれ、姿かたちを除けば、その構造は全体として大きな間違いは見当たらない。ただ、ヨーロッパの人にわかりやすい城とするために、全体のイメージを伝えながらも、細部をヨーロッパ化したのであろう。このような絵が掲載されること自体、いかに安土城が有名であったかを物語っていよう。この絵には、解説も書かれているので、概略を紹介しておきたい。

「岩を切り開いて作った石段を登っていくと、広い場所に達し、そこが信長の御殿だ。周囲は高さ約25mの堅固で非常に美しい城壁(石垣)に囲まれていた。内部にある庭園、テラス、廊下、いくつもの御殿はまれに見る美しさであった。だが、もっとも驚くべきものは、城の真ん中に高くそびえるピラミッドのような塔で、山上の最高所に位置していた。この塔は七重で、各階に屋根があり、際立って美しい色彩をはなっていた。中でも、漆塗りの箇所(望楼部か)は特別な光彩を持っていた。最上階は、一個の純金の冠を載せたドームのような形で、内外ともに、さまざまな絵やモザイクのような装飾で飾られていたのである。この装飾をさらに漆が引き立て豪華絢爛さをかもし出し、人々は目を離すことも、見続けることもできないほどであった。これが安土山であり、信長の城であった」この解釈は、おそらく宣教師たちの記録を読んでまとめたものと考えられ、共通点も多く見られる。

安土城、安土城下全図
パリで刊行された本に掲載された『安土城下全図』

宣教師の記録や『信長公記』の記載、発掘成果などから現時点で判明する安土城天主の姿を考えて見よう。天主の外観は五重七階で、一階は不等辺七角形。一階の部屋は、全て四角形になるはずで、回廊(廊下)を狭くしたり広くしたりして調整していたと思われる。二階部分で、七角形を四角形へと切り替えていくことになるが、急激に四角形にするのは無理であったがため、やはり外縁部が多角形になっていたのであろう。三階から四角形を基本にした建物になったと推定される。ここまでが、下層の建物で、この上に望楼部が乗っていた。五階は、高欄付の正八角形の部屋と解っているので、屋根裏階となる四階も八角形平面を基本とし、破風が付く四方に部屋が伸びていたと思われる。各階の外観は、青や赤、白と色が異なり、最上階は青と金色で、屋根に鐘(風鐸)が吊るされていた。また、窓(窓枠と格子を含む)は黒漆に塗られ、屋根は青く光る瓦で葺かれ、瓦当や鬼瓦には金箔が貼られ、光り輝いていたのである。内部には、多くの部屋があり、皆色とりどりの障壁画が描かれており、豪華絢爛な姿であった。

安土城、天守復元南立面図
安土城天守復元南立面図(監修:三浦正幸、復元:中村泰朗 2016)

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加藤理文(かとうまさふみ)
公益財団法人日本城郭協会 理事、学術委員会副委員長
NPO法人城郭遺産による街づくり協議会監事
1958年 静岡県浜松市生まれ
1981年 駒澤大学文学部歴史学科卒業
2011年 広島大学にて学位(博士(文学))取得
(財)静岡県埋蔵文化財調査研究所、静岡県教育委員会文化課を経て、現在袋井市立浅羽中学校教諭

著書 『織豊権力と城郭-瓦と石垣の考古学-』高志書院 2012年
   『江戸城を極める』サンライズ出版 2014年
   『織田信長の城』講談社現代新書 2016年
   『静岡県の歩ける城70選』静岡新聞社 2016年
   『日本から城が消える』洋泉社歴史新書 2016年 等多数

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