戦国武将と城|小和田哲男 <豊臣秀吉と城>第2回 秀吉の姫路入城と荒木村重謀反の真相

太田牛一の著した『信長公記』には、天正5年(1577)10月23日のこととして、「羽柴筑前守秀吉、播州に至つて出陣」とみえ、いかにも、突然のように織田信長の命令を受けて播磨に乗り込んだという書き方をしている。ところが、関係史料を追いかけると、秀吉はかなり以前から黒田官兵衛と連絡を取りあっていたことが明らかである。すでにその年6月23日付で、秀吉が官兵衛に「向後、不日如何様にも隔心無く、諸事申し談ずべく候」(『黒田家文書』)と申し送っているが、この6月23日という日付に注目したい。

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