2018/03/27
真田一族の城|平山優 第3回 真田幸綱の本拠地はどこか
真田幸綱は、実は真田家の本家筋ではない。そのことが、幸綱の真田郷復帰後の本拠地選定に大きな影響があったと推定されることを前回までの連載で指摘した。ならば、兄真田右馬允綱吉を差し置く形で、武田信玄に抜擢され、真田郷を与えられた真田幸綱は、いったいどこに屋敷を構え、所領経営に当たったのだろうか。
それを示す手がかりが、江戸時代に成立した地誌『塊鑑』(つちくれかがみ)にある。そこには、「真田村長谷寺、真田の町より十四町東のかなたなり、細道を行く、その間に町より少し上がりて道の北の方に、真田屋敷と云う所あり」との記事がみえる。
それを示す手がかりが、江戸時代に成立した地誌『塊鑑』(つちくれかがみ)にある。そこには、「真田村長谷寺、真田の町より十四町東のかなたなり、細道を行く、その間に町より少し上がりて道の北の方に、真田屋敷と云う所あり」との記事がみえる。