力で攻め落とせなかった小田原城
ある武将が敵の城を攻めたとき、容易に落とすことができなかった場合、「なぜ、簡単に落とせないのだろう」と考え、防備の勝れたところを学ぶことになる。こうした学習の積み重ねによって、築城術が進化していったわけであるが、城攻めをいくつも経験した豊臣秀吉も、そうした学習の積み重ねを活かした一人だった。
天正18年(1590)、秀吉は21万とも22万ともいう大軍を動員して相模の北条氏の拠る小田原城を攻めたが、容易に落とすことができなかった。
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