万喜城から大多喜城に移る
徳川四天王の一人本多忠勝は、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いが初陣といわれ、「旗本先手役」の一人として、以後、家康のほとんどの戦いに出陣している。生涯50を超える戦いを経験しながら、身に傷を負ったことがなかったという。中でも、元亀3年(1572)12月に武田信玄と戦った三方ヶ原の戦いの前哨戦、一言坂(ひとことざか)の戦いでは、名槍蜻蛉切(とんぼきり)を振って奮戦し、敵方から「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭と本多平八」と謳われたくらいである。
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