大人も学べる 理文先生のお城がっこう 大人も「お城がっこう」| 歴史編 第43回 織田信長の居城(岐阜城1)

永禄10年(1567)、美濃三人衆(戦国時代に美濃(岐阜県)の西部を支配していた国人領主たちを指す名称です)と呼ばれた斎藤家重臣の稲葉一鉄、安藤守就、氏家直元(卜全(ぼくぜん))が、斎藤家を裏切ってひそかに織田家に通じることを申し入れてきました。信長は、すぐさま美濃へと侵攻、稲葉山山塊に連なる南西端に位置する瑞竜寺(ずいりょうじ)山から城下の井口(いのくち)まで攻め入り、火を放ちました。稲葉山城の四方を取り囲むと美濃衆が降伏し、美濃国主の斎藤龍興(たつおき)は長良川(ながらがわ)を下り、伊勢長島(三重県桑名市)へと落ち伸びて行きました。

こちらの記事は会員限定です。

城びと会員登録(無料)をすると
続きをお読みいただけます。

関連書籍・商品など