2022/11/16
戦国10大合戦と城|小和田哲男 第8回 山崎の戦い
天正10年(1582)6月2日の本能寺の変がおきたとき、羽柴秀吉は毛利氏との戦いで備中高松城(岡山県岡山市)攻めの最中だった。秀吉のもとに本能寺の変第1報が届けられたのは翌3日の夕方ないし夜のことといわれている。
秀吉にとって幸いだったのは、毛利氏との間に和平交渉が進められていた点である。秀吉は「城主清水宗治が切腹すれば、城兵の命を助ける」と持ちかけていた。水攻めにあい、水没は時間の問題というタイミングで、毛利方はその話に乗ってきた。秀吉は、信長の死を隠した状態で講和に成功したのである。清水宗治が湖と化した高松城で切腹したのは6月6日のことであった。
秀吉にとって幸いだったのは、毛利氏との間に和平交渉が進められていた点である。秀吉は「城主清水宗治が切腹すれば、城兵の命を助ける」と持ちかけていた。水攻めにあい、水没は時間の問題というタイミングで、毛利方はその話に乗ってきた。秀吉は、信長の死を隠した状態で講和に成功したのである。清水宗治が湖と化した高松城で切腹したのは6月6日のことであった。