関ヶ原合戦の後、戦に勝利した徳川家康は、その活躍の程度によって、全国の大名を大きな規模で配置転換(治める領地・領国を変えることです)しました。新しい領地を得た大名たちは、石高(現在の給料です)に相応しい新しい城を、それぞれが造りました。小田原合戦や朝鮮出兵を経験したことによって、城を造る技術はますます発達し、今までに無い程の、進んだ形をした城がたくさん造られたのです。シンボルとなる天守も、同じようにいろいろな形をした新しい天守が造られました。
こちらの記事は会員限定です。
城びと会員登録(無料)をすると
続きをお読みいただけます。