理文先生のお城NEWS解説 第42回 城跡の樹木伐採2

現在のように城跡に多種類の樹木が生い茂るようになったのは、城としての役割を終えた明治維新後のことだったのです。また、桜が城に植えられたのは、日清戦争・日露戦争後からのことになります。特に太平洋戦争時の軍歌である「同期の桜」の歌詞のように「見事散りましょう国のため」と言う国威発揚のために、町のシンボルである城に多く植えられるようになったのです。

今回は、こうした樹木の繁茂によって石垣が崩れた事例を見ていきたいと思います。

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