大人も学べる 理文先生のお城がっこう 大人も「お城がっこう」| 歴史編 第39回 織田信秀の居城移転2

織田信長の父・信秀が、尾張の国の南半分を領有する主君の家来であったことを前回まとめました。その家来の中でも、特に「三奉行」と呼ばれる内の一人でした。従って、信秀と同格の家臣が、他に2人いたことになります。信秀の家は、弾正忠(だんじょうのちゅう)家と呼ばれ、跡を継いだ人物は必ず弾正忠を名乗っていたのです。信秀は、津島や熱田という商業都市を支配することでお金を蓄え、天皇家や有力寺社に寄付を重ね、名を売りました。軍事力にも秀で、他の2人や主家をも圧倒し、尾張半国の実力者になったのです。今回は、その信秀の居城移転についてまとめてみます。

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