前田慶次の自腹でお城めぐり 【第9回】凸岩崎城 後編~土の城の見所満載~

お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、小牧・長久手の戦いなど数々の戦と関わりがあり、歴史的重要性の高い岩崎城(愛知県日進市)の後編。空堀や土塁など“土の城”岩崎城の守りの強さを示す注目ポイントだけでなく、地元の絶品グルメスポットまで幅広くご紹介します。

▼前編はこちら
【第9回】凸岩崎城 前編~信長を撃退した尾張の城~

皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。

此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。

前田慶次

前田慶次齢四七九歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にせんが為、日々戦働きに勤しむ。

演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十二年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。

伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。

題して
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、犬山城

【前田慶次の自腹でお城めぐり】

他の連載と何が違うのか!?

・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!

全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。

ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。

凸岩崎城 ~後編~土の城の見所満載~

第九回は岩崎城
先ずは、城郭の魅力度を数値化致した。

岩崎城

遺構が多く残り堀と土塁が特に見所である!
建築物は残っておるものが殆どなく、再建された天守閣(模擬天守)が岩崎城の目印となっておる!

交通の便としては数多ある交通機関いずれでも登城することができるが、乗り換えが付き物。
電車バス双方使いこなすのが一番分かり易いぞ!

歴史的重要性は高いと考える。
織田家が支城とした時代を経て小牧・長久手の戦いの折には
城主丹羽氏次は徳川軍として参陣し羽柴軍の行軍を阻止した。
また、古墳の遺構も残す。つまり古の時代から権力者が多かったという歴史的に熱い城である!

岩崎城

【基本情報】

城郭構造:平山城
主な築城者:織田信秀?(現:最古の記録)
築城年:室町時代末期
廃城:1600年
指定文化財:無

【歴史】

築城年代は正確には分かっておらぬが、
勝幡城城主織田信秀の支城であった!

・家康の祖父が活躍
1529年、岩崎城の戦い。松平清康(徳川家康の祖父)が尾張国に進出する為に、岩崎城を攻め落とした。

・丹羽家が占拠
1535年、丹羽氏清が岩崎城を占拠したことにより、以後丹羽家の居城となる!

・信長が負けた
1551年、横山の戦い。信長が攻撃を仕掛けてきた所、丹羽軍は待ち伏せして撃退した!

・小牧・長久手の戦い
1584年、城主丹羽氏次は徳川軍の一角として羽柴軍の行軍を岩崎城と共に阻止する!

・廃城
1600年、関ヶ原の戦いを経て丹羽家は徳川家康に認められ1万石の大名に出世。領土も三河国に転封となり岩崎城は廃城となった。

・模擬天守築城
1987年、3重4階構造の模擬天守が築城され岩崎城址公園として整備される。

尾張、三河間を往来する街道の要衝地であり、交易の場として栄えた。
現在も「市場」という地名を残す程である。

では、岩崎城へいざ出陣!
おうーーーーーーーーー!!!!

岩崎城、前田慶次、目次

岩崎城、前田慶次、埋門

岩崎城、前田慶次、埋門

【天守台に秘密の埋門】

前回の記事を今一度読んでもらいたい。
この石垣に刻まれた刻紋(こくもん)が気になり近う寄って見ると、
何と埋門(うずみもん)式になった厠(かわや)を発見!

慶次「ん?天守台に埋門?…って厠かーーーー!!!」

儂もこの驚きの面!!
して。この刻紋は男子厠か女子厠かの違いを示す!
慶次「新しい刻紋の作り方じゃな」

岩崎城、前田慶次、埋門

女子厠の刻紋は薙刀(なぎなた)が紋になっておる!
戦国時代以前から活躍した武器である薙刀であるが、
江戸時代になると刀は男が使用する武器として格式が確立し
女子が使用する護身用の武器として薙刀は重宝された。
驚きなのは、嫁入り道具としても利用されたとか。
つまり、【薙刀=女子】

慶次「誠に面白い仕掛けとなっており、満足満足!」

※城郭用語
【刻紋】誰が担当した石なのか明確にする為に、石に印を付けた
【埋門】石垣や土塀の下の方に穴を開けて作った門の事。裏口や非常口として利用する事が多い

岩崎城、前田慶次、御城印

【岩崎城歴史記念館】

天守閣(展望塔岩崎城)からすぐ近くに二重櫓の如き大きな建築物。
岩崎城歴史記念館というのが御座る。先ずは此処に足を運ぶべし!!

ご覧の通り、御城印はこちらで購入可能!
城主丹羽家の家紋【丹羽扇】が入っており申す!
また、瓦版等もある故に見て回る前にこちらに立ち寄り情報収集をして参ろう!

岩崎城、前田慶次

歴史館を出立し城内を巡る。
土でできた岩崎城は全体的に土塁、盛土が多く
山城が好きな者にも誂え向きと言えよう。
この階段の先には…

岩崎城、前田慶次、櫓台

【岩崎城内で最も高い場所に○○】

儂が参ったのは岩崎城内で最も高い場所である!
それがこちら【櫓台】! 主郭=本丸にある。

岩崎城は平山城。この最も高い場所の標高は66.28m
嘗てこの櫓台には櫓が建っており、岩崎城の拠点となっておった。
櫓を守るべく周りを空堀とし、【薬研堀(やげんぼり)】であったそうじゃが、
後に一部を【箱堀】に作り変えたそうじゃ。
幅16m、深さ5mの箱堀。

慶次「この高さに加え空堀となると、敵軍が登るのは非常に難儀するであろう。不落の櫓と言えよう」

【岩崎城の戦い(1584年)】
小牧・長久手の戦いの最中に羽柴勢である池田恒興軍が岩崎城兵と激突。
当時岩崎城は丹羽家が守っておった。
嘗ては織田家に仕えた人間同士の戦いという、戦国の非情さを知る戦であった。
猛将池田軍の攻撃を耐え忍ぶも、森長可軍が乱入して結果岩崎城は落城するが、
池田軍との交戦にて撃退する成果も見せていた。
一族を犠牲にしながらも徳川軍の一角として武士魂を見せた丹羽家は
徳川様に認められ、後に大名の仲間入りを果たす!

丹羽軍は櫓から物見をして敵軍がどこから攻めてくるか、監視をしておったであろう。
城攻めは包囲することが多いが、池田軍は大手(正面)から正々堂々攻撃を繰り出したそうじゃ!
岩崎城としては、この戦いが城としての攻城戦を終えて
関ヶ原の戦い(1600年)以後に廃城と相成った。

※岩崎城模擬天守は元々存在しておらず、こちらが城としての重要拠点である!

※城郭用語
【薬研堀】V字型に底が狭くなっている堀
【箱堀】底が平坦な堀。水堀に多い

岩崎城、前田慶次、二之丸庭園

【二之丸庭園】

岩崎城二之丸庭園は名古屋城三之丸庭園を参考にして作られたそうじゃ。
我等が名古屋城は尾張を代表する城郭。

慶次「尾張国にある城はやはり影響を受けておるようじゃな」

では、本来ここには何があったのか!?
【馬出】が備わっており兵の出入口となる場所である!

場所は大手側という事で城の守りとして重要な場所であったわけじゃ!
馬出を示すものとして【盛土】がしてある。
写し絵では分かりづらいと思うが、主郭(この場所)からではなく降りて見てみると圧巻であるぞ!!

岩崎城、前田慶次、枯池

枯池は日進市の形を表現しておるそうじゃ。傾いた真似をするのぅ!

主郭を中心に巡り乍(なが)ら各郭にも足を運び、
中世の特徴である土の城は【空堀、土塁】等に目を向けて参ろう!

岩崎城、前田慶次、空堀

【道と思いきや空堀】

城巡りをしておれば、整備された道は気にせず行軍する者が多いと思うが
斯様な道こそ注目して周りを見るべきじゃ!
矢印に注目致せ!
此れは【空堀】を示す。空堀の中に道として整備したという事なんじゃ!

【攻め手の気持ち】

慶次「故に、階段の登った先までを想像してちょ」

階段も無い中でこの高さを攻撃を受けながら登ることができるのか?
城=石垣の魅力も良いが、中世の城の土造りの巧みさも刮目致せ!
池田軍も手古摺ったであろう。

此処迄の案内であるが
中々想像しにくいであろう故に、此処で分かり易く地図を出そう。

岩崎

青色□
儂が入城してきた場所であり、岩崎城の搦手(裏手)である!
模擬天守がある場所近くには【隅櫓】跡が御座る!
此処は肉眼で確認が出来申す!

赤色〇
櫓台を紹介した場所である。地図で見ると盛り上がり標高66.28mが頷けよう!
岩崎城の中心であったことが分かろう?

黄色〇
空堀を紹介したところじゃ。周りは盛土されて背が高い土の壁というのが分かろう?

橙色〇
庭園を紹介した所じゃ。隣には水琴窟が御座り風流な庭園を演出致す!

桃色〇
此処は古墳の遺構が残っておる所じゃ。
古墳なるものは、我等の時代より以前の貴重な文化である。
古墳が何を示すか。
そこに権力者がいた事を示す。
つまり岩崎城は戦国時代以前から土地として注目されていた、強固な土地であった!

慶次「さぁ、此処迄を復習出来申したか?」

続いては外側の空堀を歩いてみるぞ!
して、此処で心強い援軍は学芸員の「内貴殿」に話を聞きながら進めて参る!

※城巡りする時に詳しく知りたい者は、その城郭にいる学芸員の者を訪ねると良いぞ!

岩崎城、前田慶次、外堀
 
外堀は現世の街道整備は道路に仕上がっておる。
然し乍ら、盛土された姿は目にすることが出来る!

岩崎城、前田慶次、外堀

慶次「六尺の儂と比べてもこの高さ!」
岩崎城の守りの強さを痛感致す…。

岩崎城、前田慶次、天守閣麓

ぐるりと回ると天守閣麓まで参れるぞ。
ここは春には桜が綺麗に咲き誇るそうだで、
天守閣×桜の見事な写し絵が撮れる映えスポットである!

岩崎城、前田慶次、天守閣

では、ここで恒例の天守閣男前田度(イケメン度)を発表!
岩崎城天守閣男前田度は…

70点!!!

戦国時代初期と後期の掛け合わせの妙が男前田!!
初期の代名詞である望楼型天守と後期の代名詞・高石垣と武者返し。
【望楼型天守×高石垣の武者返し】は恐らく岩崎城しか見れないのではなかろうか?
模擬天守の岩崎城は望楼型天守3重4階の天守閣となる!
織田家の城でもあった故に望楼型天守というのは相性が良い!(信長様が望楼型天守を築城した)
石垣の勾配は見事なもので御座って、中々この高さと反り具合は見る事叶わぬ。
名古屋城意識が伺える。庭園を始め天守台石垣もその一つであろう。
廻縁の備えで日進市を一望できる点も良き哉。男前は背が高いのが必定!!
嘗て存在した櫓があらば、男前田度は更に高かったであろう!
今後の復元にも期待である!

岩崎城、前田慶次、天守閣

【天守閣へいざ出陣】

望楼型天守の復興天守閣へいざ、参る!!

慶次「城巡りの醍醐味は、天守閣へ登る事。嘗ては一部の人間しか登ることができなんだ。
天守閣に今では誰もが入城できる。此れにはいつも驚く!!」

岩崎城、前田慶次、天守閣

内部の方は展示物が中心となり、企画展等も時にはあるようじゃ!
展示物はこちらでは見せる事が叶わぬ故に、己が自身で刮目致せ!

驚いたは、三階にある甲冑展示である。
岩崎城では甲冑の着用も叶うようである。

※新型コロナウイルス感染状況により状況が変わり申す

甲冑を着用できる機会は現世の者達は殆どないであろう?
岩崎城で貴重な体験をするが良い!

岩崎

【廻縁から日進市を見渡す!主も城主!】

何度も申しておるが、岩崎城は平山城。この高さを天守閣から感じてもらいたい次第。
嘗て、天守閣は無いが櫓から同様に見渡したと考えると
敵軍の進軍が此れほど見易い環境は、尾張と三河の境界線として戦が起きたのも頷ける。
松平(後の徳川)対織田が争いこの領土を欲した景観を皆も観てちょ!!

【まとめ】

城巡りに慣れぬ者は「何処を見ればいいの?天守閣入ったら他は?」
斯様な者が多いと思う。
然し乍ら、岩崎城は土の城としての見所が多く
【堀、土塁】といった遺構も地図を片手に楽しめ申す。

石垣や天守閣の壮大さは絶対的な見所であるが、
【土】で作られた防御策が如何に守りとして強固であったのか。知ってもらいたい!
尾張三河を代表する織田と徳川が激突した岩崎城へ、いっぺん行ってちょーよ。

して。腹も減った。
此れにて岩崎城を出立し日進の名物を食しに参る!
城巡り(観光)は城だけでなく、その土地の名物を食べる事も要である!

岩崎城、前田慶次、クオーレ 有名茶屋

【クオーレ 有名茶屋】

この地ではテレビなるものでも紹介される有名茶屋であるクオーレへ参った!
岩崎城からも徒歩5分程と近いのも嬉しいではないか!

パスタなる麺料理が有名なそうじゃ!
傾奇者の儂としては西洋の飯は興味深い。

入店すれば、店内は女子を中心に家族連れもおり中々の賑わいに候。
突然の武将来店にも動じる事なく、対応してくれるあたり
慶次「流石尾張国の茶屋!!武将隊が浸透しておる証!」

早速名物を注文する!
慶次「究極のミートソースをば!!」
  
岩崎城、前田慶次、クオーレ 有名茶屋

岩崎城、前田慶次、クオーレ 有名茶屋

先ずは前菜がやって参った!
豊富な野菜の種類の他、色鮮やかであるし見た事無い野菜で儂も大興奮じゃ!!
現世の者達は、斯様な料理がお洒落で士気も上がるであろう?
究極のミートソース前から気持ちが上がってしまうとは。

慶次「クオーレ、やりよるわ!!」

一瞬で食したらば。

岩崎城、前田慶次、クオーレ 有名茶屋
 
慶次「参ったぞーーーー!」

【究極のミートソース】

ミートソースとは、定番の料理と聞く。
クオーレはその「定番ほど難しいものはない」という言葉を大切に定番料理を突き詰める!
このミートソースを完成させるのに6年の月日を費やしたそうじゃ。
作り手の想いが長年詰まっておる。

慶次「城の築城と同じであるな!」
 
岩崎城、前田慶次、クオーレ 有名茶屋

肉とチーズの組み合わせは
竹中半兵衛×黒田官兵衛の黄金の組み合わせと言っても過言ではない!
敵無し状態とは正に此の事!!

更にこれで終わらぬがクオーレ!!
甘味も登場である!

岩崎城、前田慶次、クオーレ 有名茶屋

【パフェと申す】

此れ“パフェ”と申す。果物を大いに使用した甘味である。
戦国時代は甘みを感じる料理が少なく、我等にとっては一番の褒美と言っても良かろう。 

岩崎城、前田慶次、クオーレ 有名茶屋

美味そうであろう?

慶次「一瞬で食べきったわ」

我が腹も満たして、城巡りで歩き回り頭を使い
良き城巡りと相成った!

岩崎城、前田慶次

次なる城巡りは何処になるか。

次回も楽しみに致せ

以上

名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益


岩崎城の基本情報
<住所>
愛知県日進市岩崎町市場67
<アクセス>
地下鉄「星ヶ丘駅」から名鉄バス「トヨタ博物館前」「五色園」行き約20分。「岩崎御岳口」下車徒歩5分

凸伝令

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公式ホームページ https://busho-tai.jp/

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▶「【第1回】凸名古屋城」前編(https://shirobito.jp/article/944)・後編(https://shirobito.jp/article/946
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執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

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