2021/03/16
理文先生のお城NEWS解説 第26回 新たに発見された池田期の石垣(吉田城)
天正18年(1590)、豊臣秀吉は、東海道の要衝・吉田の地の支配を池田輝政にまかせました。15万2千石で入城した輝政は、石垣を導入し、瓦葺き建物を建て、近世城郭としての体裁を整えますが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の後姫路に所替えになりました。池田時代の石垣は、本丸北西隅の鉄櫓台のみと思われていましたが、豊橋市教育委員会による「石垣・土塁カルテ」の作成に伴う調査によって、未発見の池田時代の石垣が確認されました。今回は、その石垣を紹介します。
池田段階の石垣は、現在まで本丸鉄櫓下のみに残ると考えられていました。
池田段階の石垣は、現在まで本丸鉄櫓下のみに残ると考えられていました。