日本100名城、続日本100名城に負けない名城 第12回 志波城跡(しわじょうあと)[岩手県盛岡市]

7世紀から11世紀頃まで、大和政権が蝦夷(えみし)(東北地方)支配を進めるために築いた軍事・行政的施設を城柵(じょうさく)と呼んでいます。記録に残る初見は、大化3年(647)に設置された渟足柵(ぬたりのき/ぬたりのさく)(新潟市付近)で、次いで翌年には磐舟柵(いわふねのき/いわふねさく)(新潟県村上市付近)が設けられました。

城柵は、朝廷が「化外(けがい)(統治の中心から遠く離れ、支配の力が及ばない場所・地域のことです)の民」であった蝦夷支配を進め、その豊かな産物を得るために設けた軍事拠点でしたが、併せて辺境(へんきょう)の政治・行政施設としての役割も担っていたのです。

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