応仁元年(1467)に京都を中心に起こった応仁の乱は、やがて全国的な規模の戦乱となって広がっていくことになります。こうした乱れた世の中にあって、一般の人々は自分たちの身を、自分たちで守らなければなりませんでした。そこで、村人たちが武士たち同士の争いに巻き込まれて被害にあわないようにするため、いざとなった時に避難する場所として「村に城」を造ってそこに逃げ込んだといわれています。また、村そのものを城や砦のように、堀や土塁を設けて守ることもあったともいいます。
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