戦国武将と城|小和田哲男 <豊臣秀吉と城>第3回 秀吉が京都二条に築いた妙顕寺城とは

秀吉は、天正11年(1583)4月21日の近江賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破り、信長後継者としての地位を確立すると、その年9月1日から大坂城の築城にかかり、そこを居城とした。信長が安土城の次に大坂の石山本願寺跡地に居城を移す計画だったといわれ、その計画を踏襲した可能性がある。しかし、その頃、衰えたとはいっても朝廷勢力はあなどりがたいものがあり、秀吉は、はじめ、内裏を大坂に移そうと考えた。大坂遷都構想である。ところが、それは秀吉が考えたほど甘くはなく、結局、いつしかうやむやにされてしまったのである。

こちらの記事は会員限定です。

城びと会員登録(無料)をすると
続きをお読みいただけます。

関連書籍・商品など