安土城を描いた絵図としては、一般的に「貞享古図」とよばれているものが一番古い。これは、信長の百回忌にあたって作成されたと推定されているもので、「近江国蒲生郡安土古城図」とあり、「貞享四丁卯年仲秋作之」とみえ、貞享4年(1687)当時の安土城址の状況を描いたものとされている。
そこに、「天守」を中心に、西側に「二の丸」、南東側に「本丸」という形で曲輪配置とその名称が書きこまれ、これが安土城の縄張を語る場合の基本とされてきた。
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