戦国武将と城|小和田哲男 <徳川家康と城>第4回 家康はなぜ駿府城を隠居城に選んだのか

徳川家康は慶長8年(1603)、念願の征夷大将軍に補任(ぶにん)された。若いころから源頼朝に私淑し、『吾妻鏡』を愛読書としてきた家康にとって晴れがましい瞬間だったと思われる。ふつうならば、せっかく手にした権力の座に死ぬまでついていたいと考えるところであろう。しかし家康は、たった2年で将軍の座を子の秀忠に譲っているのである。それはなぜなのだろうか。
関ケ原の戦いに勝ち、将軍になっても、大坂城に豊臣秀頼がいた。大坂方はもちろん、世間では、「家康が将軍になったのは、豊臣秀頼が関白になるまでのつなぎ」というニュアンスで受けとめていた。

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