信長から命ぜられた丹波経略にあたり、光秀は天正3年(1575)11月、山城国からではなく、但馬国から丹波国氷上(ひかみ)郡の黒井城に攻めかかっている。黒井城の城主は荻野直正で、赤井悪右衛門の名でも知られている。
黒井城の戦いは、このあともう一回あるので、このときの戦いは第1次黒井城の戦いとよばれている。この戦いには、多紀郡八上(たきぐんやかみ)城の波多野秀治が、光秀陣営に加わっており、光秀としては簡単に落とせると考えていたらしい。
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