戦国10大合戦と城|小和田哲男 第7回 長篠・設楽原の戦い

ふつう、長篠(ながしの)の戦いと言い慣わしているが、織田・徳川連合軍と武田軍が実際に戦ったのは設楽原(したらがはら)なので、現在では、長篠・設楽原の戦いという言い方が一般的となっている。

しかし、戦いの発端となったのは長篠城(愛知県新城市)なので、長篠城からみていきたい。長篠城は永正5年(1508)、今川氏親の家臣菅沼元成によって築かれたといわれている。この長篠城の菅沼氏は、田峯(だみね)城(愛知県北設楽郡設楽町田峯)の菅沼氏、作手(つくで)亀山城(新城市作手)の奥平氏とともに「山家(やまが)三方衆」とよばれ、徳川家康が三河で自立を果たしてからは家康に従っていた。

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